眠い

私の脳内

金木犀の匂いを嗅いで思い浮かべるのは、昔、通っていた小学校の校門に植えられていた、あの金木犀のことだ。毎年、橙色の花びらをコンクリートの上に散らし、まるで絨毯が敷かれているように綺麗だった。だが、それが綺麗だと気づいたのは数年が経ってからだった。小学生の私は何も考えずにその木の下を通っていた。下を向いて、前の人の靴が通る道をただ歩いていた。灰色の地面が続き、それでも下を向いて歩いていた。ふと、地面に綺麗な花びらが散っている。上を見上げると、大きな金木犀があった。
私は小学校の思い出をほとんど憶えていない。好きだったとか、嫌いだったとか、そんな曖昧な感情があるだけで、具体的な出来事もほとんど憶えていない。恐らく、それが普通なのだろう。忘れてしまって問題のないものだろうから。それでも、あの金木犀の匂いは針で刺されたようにずっと憶えている。私たちが高学年になった時、近くの学校と統合され、廃校になってしまった学校。今年も橙色の花びらを散らすのだろうか。

私は、自分の抱いている感情がなんという名前なのか探すことがよくあった。それが一般的になんと呼ばれている感情なのか。もしかしたら、私だけのものという可能性もなくはないが、誰かと同じものを抱いていて、それに名前がついていると知った時、私はその感情から意識を逸らすことができた。
私の場合、その感情は音楽を聴いた時、匂いを嗅いだ時にやってくることが多い。人の感覚は記憶と結びつくことが多いらしく、視覚以外にも、私は嗅覚や聴覚によって感じた記憶と過去が結びつくことが多い。そして、そのきっかけが私を現実から遠ざけ記憶の渦へと連れ去ってしまう。

金木犀の匂いを嗅いだ時に浮かぶ学校の白い校舎、木造校舎の匂い、その時の日常が頭の中で呼び起こされる。実際にあったのか分からない、定かではない記憶が映像化される。名前は忘れてしまったが、当時の人間と何かをしている私がそこにいる。最後は何かあやふやにかき消されて、その記憶は閉じ、現実へと戻る。私に残ったのは、温まりかけていた想いと、冷え切った現実だった。

最近、そんなことがよく起こる。私が知りたいのは、その記憶を見た後に感じる空虚な感情だろうか。作家というものは妄想で日常を作り変えることができる。それを信じている。それを信じなければ、この空虚な感情に心を掴まれたまま、生きていくような気がした。


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Posted by yuuya yamaguchi