適当な仕事

私は自分が器用な人間だと思っている。私はINTJで、感覚的な部分が得意だ。コツが分かるので、大体のことはそれなりにできてしまう。とはいっても、所詮は自己評価なので、当てにはならない。私が勝手にそう感じていると思ってもらえればいい。そして、私が譲れないというか、なんというか、不器用な部分も存在する。私は大体のことを手を抜かずに行う癖があった。人にもっと適当でいいと言われ、こうですかとやってみて、初めてそれが自分の基準へと落ち着く。私にとっては手を抜かないということ以上に、手を抜くということの方がストレスに感じるのだ。全てを完璧にやっていれば誰にも文句は言われない。私が完璧だと思っていて、それを誰かができていないと指摘すれば、自分の行動を相手に合わせる。そうすれば、齟齬が解消する。だが、適当でいいという指示は難しい。雑にやりすぎてはいけないし、余計な気を使ってしまう。結果、分かりました。と言いながらも、自分が納得のいく形を目指してしまうのだ。そして、これは私の思想のようなものだが、手を抜かずに行うというのはどんなに単純な作業であれ、自身の成長につながるのではないかと考えている。何か新しい発見があるかもしれないと考えていれば、違う視点を持つことができる。この考え方が変わらない限り、私は手を抜くということが苦手なままだろう。
私は、何事にも手を抜かない人間だ、というよりも手を抜く方がもったいない。そんなことを書いているが、全てに対してではない。私は飽き性であるし、効率の悪いことや、つまらないことが嫌いなので、そもそもやらないという選択をしたり、あからさまに手を抜くということもする。自分でもその切り替えがはっきり分かる。私はとてもめんどくさい人間なのだ。
「適当でいいよ。明日までにここを終わらせればいいから、そんな一生懸命やらなくていいよ」
草刈機のエンジン音越しに微かに聞こえた声は、私に休憩の合図を知らせていた。額についた汗を拭いながら、エンジンを止め、相手が言った言葉を頭の中で反芻する。一生懸命? 適当? 私は、一生懸命やっていたのだろうか、それは汗をかいているからだろうか。適当、私はそれなりにやっていたのだが、適当というはもう少し、雑にやれということなのだろうか。祖父の手伝いをしていた私は、なぜ、わざわざ適当にやらなければいけないのかが分からなかった。
何人かは、椅子に座りタバコを吸っている。
「あと、少しだから、そんなに頑張らなくていい」
早く終われば、やることがなくなるということだから、早く帰ることができるのでは、明日の作業がなくなるということではと、思った。
「ここ終われば、全部終わったってことじゃないの?」
「明日までって決まりだから、ゆっくりでいいんだ」
どうやら、明日までに決まった場所をということらしい。今日中に終わるのだが、明日までと決まっているので、また明日来るのだそうだ。
休憩の時間がやたらと多かった。明日の午前中で終わると、誰かがいい。休憩に入る。私は椅子に座り、緑を眺めていた。
はあ、この時間無駄だな。そんなことを考えても仕方がないので、持ってきた本でも読もうかと考えていた。しかし、私はその無駄な時間を他の人と同じように過ごそうと思った。ただ、ぼ〜っとして、生き物が鳴く音を耳に入れていた。そうすると、自然と眠くなってくる。私はうたた寝をしていた。
「よし、もう帰るべ」
午後の3時ごろになると、祖父はそう言い、帰る支度を始めた。昔って感じがした。きっと、頑張ってやれば、給料が同じで仕事が増えるのだろう。それは経費を年度末に無駄に使うことと似ている。来年度の経費を減らされないためにどうでもいいものに金を使うのだ。
手を抜いて、自分は無能だとアピールすれば、仕事が減るし、合理的だと感じた。それでも、無駄なことをしないために無駄な時間を過ごすというのが、なんか嫌だった。
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