ショートショート 『爪』

我が家には、ルールがある。
猫の爪が伸びている間は、撫でてはいけないというルールだ。
リビングで、我が家の猫、ミケを撫でていた。
ミケは、名前の通り三毛猫で、お腹に肉が溜まっている太った猫だ。
ミケの気持ちよさそうな顔を見ていると、母がリビングへ入って来た。
急に手を掴み、爪を見た。
「あら、伸びているわね、危ないから、撫でるのは禁止よ」
私は、ミケの頭を一回撫でるのを最後にポケットから取り出した携帯で、好きなアイドルの動画を見ることにした。
動画を見ていると、ミケが爪を研ぐ音が聞こえた。
視線をミケの方にやると猫は、ダンボールで爪を研いでいるようだった。
両腕を前に伸ばし、懸命に爪を研いでいる姿を見ていると、ミケを撫でたくなる衝動が湧いてきた。目が合うとミケは、爪を研ぐのをやめ、私の方へと近寄ってくる。
ミケは体を擦り寄せてきたが、私は携帯を取り、無視することにした。
鳴いているような気がしたが、私の耳には、動画から流れ出るアイドルの笑い声しか聞こえなかった。
次の日、爪を確認してみたが伸びたままだった。
母にも伝えた。
今日は、しつこくミケが擦り寄ってきた。4日間は撫でていない。
父と母は、平然としているが、私にはもう耐えられそうになかった。
一週間が経つとようやくミケが爪を噛み出した。
ガリガリと音を立てながら、両手と両足を交互に噛む。
ミケは私に、目もくれず淡々と作業をしているようだった。
父の研究によると、愛着障害を抱えた子どもというのは、爪を噛む癖を持っているらしい。
母が猫の爪切りの際に怪我をしたことをきっかけに我が家では、猫の爪が伸びると自分で噛むまでは愛情を与えてはいけないというルールができた。
そうすれば、自分で爪を噛んでくれると考えたからだ。
母の腕から、大量に垂れる血液を見て、猫の爪を切るのが怖くなったのを覚えている。
爪を噛み始めてからしばらくして、ガリガリという音は聞こえなくなっていた。その時にこの一週間で溜まったミケへの愛情を発散させたく感じた。
ミケの腹を抱え、抱っこしようと考えた。
だが、ミケは小さな叫び声をあげて、私から離れていってしまった。距離を取ると、ミケは、腹を舐めており、私の爪には、少しだけ血が滲んでいた。
謝りたくて、撫でようとするが、なかなか撫でさせてもらえない。
しつこく追い回すが、それは逆効果のように感じた。
次第にミケは、尾を逆立て私を警戒するようになっていた。
仲直りしたかった私は、猫の目の前で、自分の左手の爪を順番に噛んでいった。
歪な形になった爪を気にせずに親指から小指へと順番に爪を噛み進めた。
爪を噛むことに集中していると、ミケが私の方へと寄っていることに気がついた。温かく柔らかい感覚が、噛んでいない方の手に伝わってきた。
ミケのざらざらとした舌が、私の人差し指を懸命に舐めていた。
爪を噛むことをやめ、私は噛んでいた手を自分の口から離し、ミケの頭へと乗せた。私たちは対等な関係になれた気がした。
ミケの毛並みは、柔らかく、久しぶりの感覚だったので、色々な撫で方をしていた。頭を入念に撫でたり、顔の下を撫でてみた。
肉球を触ろうとし、手を持つと、ボロボロになった爪が少し赤くなっていた。
私は、再び爪を噛み始めた。
私の歪になった爪は、ヒリヒリと痛み、鉄の味がした。
だが、構わなかった。
ミケが、私の右手を舐めるのをやめるまで、爪を噛むことにした。
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