個人的な今週のエッセイ 第一回

ブログ活動

こんにちはゆうらいふです。

私が、普段行っている「週末のまとめ」というものをエッセイのようにブログに書いていく第一回です。

今後、どうなるかは分かりませんが、、、。

 

免許更新をしに市内へ

外に出るということがあまり好きではない私は、免許更新のために市内に出た。

最近は、朝が暖かくて気持ちがいい。風の涼しさと相まって、最高の朝が続いている。

私は冬が大嫌いで、その理由は、寒くて布団から出ることができないから。

自分の習慣が壊れるというのは、嫌だ。理想の生活が頭の中にあり。それとズレた行動をとるということをかなり違和感を感じる。

時間を調整するために本屋に入り、目をつけていた本を買う。

立ち読みも満喫したが、買って最後まで読む人というのは案外少ないという。

 

ブログの進捗

私が、ブログを始めたきっかけは、学び情報を伝え、学びそれを繰り返せば最高だと思ったからだ。

最高の勉強は、人に伝えることだという。

それでもブログを始めたはいいが、用語が覚えられなくて難しい、テーマは、Luxeritasというものを使っているが、デザインをどうやって変えたらいいのかを調べなければいけないし、専門用語も分からない。

デザインをっぽくすることはできたが、案外集中できて楽しんでいる。

1歩目の抵抗がなくなれば、すんなりいくし、とりあえずやってみれば、だんだんと慣れてくるので、それの繰り返しだと思う。

学びを形にしないといけない。

 

山菜採り

祖父と山菜採りに出かけた。

シラキやタラの芽、シドキ、ゼンマイ、ワラビなどをとり、天ぷらにしたらおひたしにして食べたが、大人の味がして、とても美味かった。

二日連続で食べた山菜の天ぷらも全然飽きない。

個人的には塩胡椒がおすすめだ。。

山に行くと、バラの木がありチクチクしたが、それも自然の良さなのだろう。

 

生成AI

ニュースで、生成AIの詐欺が急増していると見た。

クレジットカードの番号とセキュリティ番号を生成して、大量に作っていくらしい。

技術が発達すれば、悪用されてしまうのが、今までの流れ。

だが、私はAIが、クリエイターの需要を奪っているということが許せない。

 

死体遺棄事件

私の住んでいるところの近くで、死体遺棄事件があった。

伊王野で死体が発見された事件で、田舎というのは空き家が多かったりするので、死体遺棄をするのに都合がいいのかもしれない。

最終的に田舎に人間が戻ってくるというものに時代が移り変わっていくことを願おうかと思ったが、人が都市に集まることによってスペースが空くのなら今のままでも構わないと感じている。

 

人を助ける理由

人が困っていたら助けるというのが、理想だ。

だが、身近な人間の話を聞いていて、悲しくなった。

「最近の若者は、助けてやってもお礼がないから知らないふりをするんだ」

と当然のようにいっている人間がいた。

お礼を目的に助けるというのは副産物のようなもので、私はお返し目的で助けているとは思われたくない。助けてやったというと言葉も感知してしまう。

助けるということが当然という考え方がもっと広まれば、人間の境界線というのも薄れていくのだろうか?

自分が無理をしてまで、人助けをするのはおすすめしないが、常に片手を開けておく余裕を持っておきたいものだ。

 

美人投票

世の中の人間は、流行っているものが好きだと思っている。

流行っている髪型にし、流行っている服を着る。みんなが好きなものを好きといえば、共通の話題が手に入る。

テレビを見ていて気がついたことは、テレビのつまらない内容は。見ている人が多いから話のテーマになりやすいのではないかということ。

多数側に入りたいんだという考えは、誰かと繋がりたいという考えからきているのかと考えている。

特に意味もないのに、人に話しかけられない。

ではなくて、何の意味もなしに人に話しかけられるというのが、いい。

大人に聞くよりも、ネットで調べた方が早いという効率的な考えだが、そうではなくてもっと人と人との関係を大切にしたい。

 

仕事と私事

接客のようなものを以前していた。

その時に感じたのが、されたくない質問をされた時だ。

されたくない質問というのは、自分が少し曖昧なもの、誰かに確認する必要があるものなどだ。

仕事上で、相手に言われたことを責任を持って答えるというのが、責任を果たすことだろう。

だが、仕事と私事がごちゃ混ぜになっている気がする。

要は、仕事でめんどくさい質問をされて、めんどくさいと思ってしまうことだ。

責任を取りたくない、押し付け合いが起こっている現代ではそれを度々目にする。

 

クリストファー・ノーラン計画

自分の思想を自分で知るには、書いていくしかないと思っている。

私が、行おうとしている計画は、クリストファー・ノーラン計画というものだ。

どうやら、超有名な映画監督のクリストファー・ノーラン監督は、スマホを持っていないらしい。

私は、衝撃を受けたと同時に、スマホがなくても人は生きていけると確信した。

いますぐに、このリンゴマークのついた物体を叩き割ろうとも考えたが、今すぐには無理だと冷静に考えた。

いつになるかは分からない、だが、今のスマホが最後のスマホになることを願う。

 

クリストファー・ノーラン計画は、人類に必要だと私は考えている。

同士が、増えることを願って、この一週間の振り返りを終える。

 

 

 

 


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