第三十六回 個人的な今週のエッセイ R6.12/15-12/22

ブログ活動

 

お品書き

 

野良猫

私は、昔から猫が好きだった。
犬は家にいたが、どうしても好きになれず、撫でることもほとんど忘れていた。ただ、散歩させることは嫌いではなかった。
犬がどの方向に行くのか、リードで引っ張られるままに、犬の興味を追いかけることを楽しみに散歩へ出かけていた。

私は、猫を飼いたがったが、猫は障子を破くし、いたずらをするのでダメだと言われ、それきりだった。
家の近くには、野良猫を見ることはほとんどなく、私が撫でる猫は人に飼われた猫のみだった。毛並みが綺麗で、太った、猫。猫を飼っている家は、羨ましかったが、中学生になった時に猫と犬のアレルギーを持ってしまったことをきっかけに、飼いたいという思いを忘れていった。

だが、最近になって、私の家の周辺に野良猫が出没するという話を聞いた。そして、その猫を見つけることができた。赤い毛並みの幼く、そして、すばしっこい猫だった。
私は、その時からその猫を撫でたいと考えていたが、野良猫は警戒心が強いので近付くことは難しいのではと、思っていた。

猫が嫌いな祖父は、その猫を捕まえるために罠を仕掛け、その猫を追い払おうと考えていた。
祖父のことは好きだが、動物に対して、慈悲の心がないので、その猫が何をされるのかが、怖かった。

私は、野良猫と仲良くなりたいと考えていたので、その猫が捕まらないことを祈ったが、猫が近くにくれば、その猫を撫でることができるので、どうなるのかを楽しみにしていたのかもしれない。

猫を家の中に入れて、飼いたいとは思っておらず、ただ、仲良くなりたいなと思っていた。

愛を知らないのであれば、私が撫でるし、お腹が空いたのであれば、余っている食べ物を与える。そんな、関係が野良猫と結べれば楽しいのではと思っていた。

 

 

暴れる魚

頬と目の中間に竹串を力一杯突き刺し、手首をねじりながら、細胞の間を縫っていく。まるで、細かい泡が弾けるような感覚が、竹串を通して伝わってくる。魚の背骨に達すると、魚を大きく拗らせ、尻尾の下から突き出るように竹串を調整する。

暴れ回る魚を掴むと、必死で抵抗する力に圧倒される。
魚を掴んで竹串を刺そうとするが、暴れ回る魚を押さえつけつことができずに逃してしまう。シンクに落ちた魚は、暴れ回り、頬から流れ出た赤い液体を周囲へと撒き散らしている。

私は、自分が竹を刺されるところを想像しながら、魚の相手をしていた。竹を刺し間違えた時に一度抜き、もう一度違う細胞を傷つけた時は、その魚が、血の涙を流し、泣いているように見えた。

言われた通りに竹串を刺し並べていった。

炭に火をつけ円状に魚を並べると、鰭が熱され、変形していた。
鱗を熱し、脂が溶けた時、悲鳴のような高い音が鳴っていた。まるで、魚が悲鳴をあげているようだった。口を大きく開け、痙攣しながら、高い音を出している。
捕まり、刺され、炙られ、そんな魚が不憫にも思えた。

一通りの作業が終わった時にその魚を食べてみた。
私は、焼きたての魚を食べた時、確かに命の味を感じた。
先程まで、動き回っていた、生き物が舌の上で泳いでいるような、そんな感動があった。その時、心から、美味しいと感じた。

私は、美味しいという言葉をあまり使っていなかったことに気付いた。そして、それは、食材に対してとても失礼であることに思えた。
恥ずかしさに襲われ、美味しいという言葉を使っていなかったのは、なぜなのかを考えていた。プライドか?それとも正直な感想か?だが、失礼であることに変わりはないので、どんな時に心からの感謝をすべきなのかを考えることにした。

先日、テレビ番組で、貧しい国の人々が日本のカップラーメンを絶賛していた時のことを思い出した。そもそも、食べ物を食べることができている時点で、足りていることであり、美味しいというものは、おまけみたいなものではないのかということだと思った。

食べ物があることが当然になってしまえば、味を求めるようになってしまう。そのため、食べ物を残したり、粗末にしたりといったような食品ロスが生まれるのではないかと思った。

食事というのは、胃を満たすことであり、そして、命をいただくというものだ。捕まって、殺されたものを誰かが、調理する。
調理されることによって、新しく生まれ変わるのだ。私たちは、それに対して、美味しい、美味しそうというのは、喜んでくれるのではないかと思った。

捕まって、殺されて、まずいと言われて、捨てられる。
自分がそうされれば、なんのために死んだのかが分からなくなってしまう。とても悲しい気持ちになるような気がしたのだ。食べられるために殺されるのであれば、理由があるので納得できるかもしれない。しかし、なんとなく殺したでは、納得が行かないような気がした。

ただ、命を無駄にしたくなかった。

魚を殺して、食べるというものは、本質だった。

 

 

猫の恩返し

「最近、猫、いるでしょ? 賢い猫だから、なかなか捕まらないのよ。罠を仕掛けてんのに、そこには、絶対に入らないのよね。きっと、分かっているのね。」

私は、祖母の会話を聞いて、笑いをこらえるのに必死だった。

 

前日の夜、外の空気を吸うために外に出ると、猫の声が聞こえた。近くにいると思った私は、携帯のライトをつけて庭に出てみる。すると、檻の中で、丸くなった虎柄の猫がいた。猫は、少し凍えているようにも見えた。

猫は、私の方を向き、必死に鳴いていた。
恐らく、助けてくれとか、お腹が空いたとか、閉じ込めやがってとか、ここから出せとか、何か言っているのだと思った。

その猫は腹が減っていると思い、魚を渡してみたが、警戒しているのか、匂いを嗅ぐだけで、食べなかった。
檻に収まった猫を見ていると、なぜか、笑いが込み上げてきた。
今まで、賢いから捕まっていないと思っていたが、たまたま、捕まっていなかっただけだと分かったからだ。
しかも、檻の中には、赤黒い肉が吊るされており、それは美味しそうには見えなかった。
そんな、餌に釣られるなんてと思ってしまったのだ。
猫といえば、魚だろと、一人でツッコミをしてしまった。

そのまま、檻の中に入れておけば、殺されるか、どこか遠くへ持っていかれると、確信していた。

檻の隙間から手を入れて、少しの間撫でていた。
猫は微かに震えていた。
寒いからか、緊張しているからか、両方なのかは分からない。
猫を見ていると、涙を流していることに気が付いた。
猫は、ここから出せではなく、出してください。助けてくださいと行っているように見えた。

猫の恩返しを期待している訳ではなかった。
ただ、涙を流しながら、助けを求める猫を放っておけなかった。

檻を開け、元の状態に戻すと、檻の外へ出た猫に魚をあげた。

 

 

世界遺産

世界遺産検定の勉強をしていると、歴史の繋がりが見え、主役が次々と移り変わっていく様子が見て取れる。
しかし、私が受験する2級の範囲は300ヵ所であり、残り80日ほどしかないことに気が付いた。
世界遺産検定の1級テキストを買っておけば、2級は受かるだろう、1級を受けるには、2級の合格が必要だから、このまま丸暗記すればいいや、そう考えていたのだが、1200ヵ所を覚えるのに少し、短いと思った。

そして、考えた結果、2級の世界遺産の範囲を調べて、1級のテキストを参照しているという方法だった。
元々、そうやっておけばよかったが、全体像を知るのであれば、全体をやって行った方が面白い。だが、受からなければ意味がないので、ポイントを抑える戦略に変えることにしたのだ。

勉強をしていると、自分の好きな建物や、遺産、歴史が見つかる。
ブラジリアでは、合理的な街並みというのが、とても私好みだった。立体的な道路になっているため、ほとんど信号はなく、街がそれぞれの場所ごとに完結しているのが、特徴だ。

シドニーのオペラハウスの設計者は、途中で帰国させられ、その後、オーストラリアには、入国していなかったり、そういった細かなエピソードを知ることもできる。

世界旅行にも、行ってみたいと思っており、その旅行を楽しむためには、歴史だったり、建物を知る必要があると思っている。

栃木県には、世界遺産を小さくした『東部ワールドスクエア』という観光場所があるので、とりあえずは、そこで全部の遺産の名前を言えるように頑張っていこうと思う。

 

 

70代の大工さん

私の家は、祖父の友達が建てた家で、その大工さんとは、私が子供の時に将棋をしたりして、遊んでもらっていた記憶がある。
家の床に暖房材を入れるというので、手伝うことになったのだが、大工さんという職業の奥深さを知れるいい機会だった。

というのも、定規で線を引き、板を切り、ネジを入れる場所に印をつけるというのが、私好みだった。

私は、細かい人間なので、数字に合わせなければ、気が済まない。
実生活では、どうでもいいことにこだわりを持ってしまうため、決められた、長さのものを決められた本数作るというのが、とても気持ちが良かった。

数字を使う職業の中でも、大工さんといのは、美しさがあった。
一見長さが分からない木材は、等分に切られた論理のようなもので、定規や数字を通して、客観的なものになる。
その客観的なものを、決められた場所へと配置していき、全体像を見ると、それが建物になっている。

MBTIでINTJが建築家と呼ばれているのが、なんとなく分かった気がした。論理的思考を具現化したものが、建物なのだと思った。

その大工さんは、とてもいい人なので、これからも無理をしないで、長生きしてほしいと、純粋に思っていた。

若い人が怪我をするのと、お年寄りが怪我をするのとでは、全く別だ。

若ければ、挑戦しても取り返しがつくのと同じかもしれない。

 

 

お年寄りの会話

お年寄りの会話を聞いているととても元気をもらえる。
私の祖父は、7時半に起きていると聞いた時、年寄りにしては、遅くないかと思ってしまった。本当のお年寄りは、4時には起きているものだと思っていたからだ。

「どこの中学校出身?」と言っていた会話は、「どこ病院?」になり、明るい話題を選んだ会話をしている。

お年寄りが大切にしているものは、人の繋がりや友達といったものなので、会話を心から楽しんでいるような空気が伝わってくる。

祖父たちには、お世話になったので、ひ孫を見せたいと心から思っている。
だが、どうしても結婚をしたくない。

どうすればいいかを、考えている。

 

 


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