週末の唄 第六回 個人的な今週のエッセイ R6.5/19-5/26

ブログ活動

こんにちはゆうらいふです。

今週も個人的な今週のエッセイをやっていきます。

積読で、実用書を読んだからなのか、少し似たような書き方になってしまいますね。
無意識のうちに文体が似てしまうというのも面白いです。

それでは、書いていきます。

 

記事数を稼げ

今の私がしなければいけないことは、記事数を稼ぐことだ。
細かいアイキャッチの変更でも、テーマのカスタマイズでもない、記事を書くことだ。

目標に掲げている200記事までは80記事ほどだが、1日の記事数によっては、三ヶ月で達成することができるし、頑張れば二ヶ月前までに完成することができる。

私が物を考える時は、掛け算をすることにしている。

今からお菓子を食べようとしている時にそれを毎日一つ買って食べ、一ヶ月で、一年でどのくらいの費用がかかるのか、その差を考えると不思議と欲求が減ってくる。

食べないことだけが良いことではない。

今週は、記事数を稼ぐことだけをやるつもりだったが、カスタマイズをしてしまった。
ブログカードで、記事を繋げようかと計画をしていたが、そもそも出来上がっていない記事に繋がることになってしまう。

答えは出ていた。
記事を一通り完成させてから、ブログカードで繋げればいいのだ。
私が、やっていたことは、開発途中の遊園地に看板を立てることだった。

だが、良いこともあった。
ブログの見出しに入ってくる謎の縦線を消すことに成功したのだ。
一ヶ月以上苦戦していた。

CSSを齧った程度の知識しかない私にとって、それは難題であり、noneが通じないなんて聞いたことがなかったからだ。

ブログカードを設置している時にもう一度挑戦しようと思い、やっとのことで消すことに成功した。

記事数を稼がなければ、何も始まらないが、いずれ解決しようとしていた問題を解決できたのはかなりの収穫だった。

寄り道の割合を少しは、増やしたほうがいいのかもしれない。

 

焦燥感の消し方

私は、一時期絵を描くことにハマっていた。
絵の内容は、さまざまで難しいもので、書きたいと思うものであればなんでもよかった。

私は、デザイナーのようにゼロから絵を描くことはできないが、模写をすることが得意だ。
人の顔を模写していると、複雑な線が見えてくる。

模写の面白いところは、正しい線を探すためにいくつもの大まかな線を描いていくことにある。
三時間以上かかるのは、普通のことで納得のいく絵を完成させないと本人に失礼だと思ってしまう。

なぜ、この話をしたのかというと、焦燥感を消すには集中すると言うことが適切だと思ったからだ。
何かに集中している時というのは、それ以外の無駄なことを考えなくて済む。

何もしたくないが、エネルギーがある時というのは、無駄なことに走りやすい。
その余ったエネルギーで夜に眠れなくなるほど、どうでもいいことを考えてしまうのだ。

私のいう、無駄なこととは、悩み事のことである。
私たち人間は脳が発達した代償でそれを維持するために考えなくてもいいことを考える手法を選んだ。

頭が良くなり一見、優位かと思われたことも、そのエネルギーが悩み事という非生産的なことに使えわれてしまうのだからどうしようもない。

税金の無駄遣いのようなものだ。

 

親との残り時間

記事を書いている時に親との残り時間について触れた。

親との残り時間は、生涯で九年もないというのは、多く感じるだろうか?
それとも、少なく感じるだろうか?

これは、子供の時を含めた時間であることを知っていてほしい。
仮にあなたが、二十歳を過ぎ、親元を離れているとなるとさらに短くなる。

親との残り時間は、親が残り何年生きるかという年数を日数にしたものである。
残り20年だとしたら、20日だ。

私たちは、年間で約6日間親と会う。
そして、1日あたり4時間とすると、1年で24時間となるのだ。

この時間を聞いて、喜ぶ人、悲しむ人いるだろう。
私は、親とはあまり話さない、仲が悪いとかではなくて、性格が合わないからだ。
それでも、この残り日数を見た時に感じたのは、深い悲しみだった。

仲が良くなくても育ててくれたことには、変わりはない。
自分は恩返しができているのか、話さなければいけないことはないか。
先延ばしにしてきたことの後始末をつけなければいけないと私は感じている。

過ぎていき、どちらかが死ねば済む話だが、それでいいのだろうか?

残り時間というのは、案外少ない、あっという間だろう。

時間に急かされて生きるのは、私には合わないが、やはり時間は有効に使いたいものだ。

 

結婚したくない人

私が、最近感じた結婚したくない人は、動物に嫌われる人だ。

理由は、動物に警戒されている人というのは、そういうオーラが出ているのだと思う。

生き物を大切にできない人は、子供を大切にできるのかが知れている。

自分の子供は大切にするということではない、親の考えが子に伝染する。

ペットの手懐け方が上手い人というのは、教育者に向いていると思っている。
もしも、パートナーが動物に対して、キツく当たっているようであれば、関係を見直す必要があるかも知れない。

 

スイカに名前

祖父の家で、大玉スイカ作りを手伝っているのだが、名前を思いついたので発表しようと思う。

「ウリエル」だ。正確に書けば、「瓜エルとなる」

スイカは、西の瓜と書くので、この名前がぴったりだと思った。

ウリエルにした意味は特にない。

なぜかは、分からないが頭の中に浮かんだものだ。

卵に名前をつけたように野菜にも名前をつけたくなってしまった。

 

40代が一番

私は、人生の一番面白い時期を20代だと思っていた。

私自身がそう思っているわけではなく、若いのはいいなと言っている人を多く見るからだ。

だが、70過ぎおじさんが、40代が一番面白いと言っていた。
だんだんできることが増えていくからだという、そして、50を超えるとあっという間に60になっていたそうだ。

男は、40代からの10年が一番輝くといのは、一理あるかもしれない。
所詮20代なんて、準備期間と考えた時に気が楽になった。

いつ輝きたいのかを意識した方がいいのかもしれない。

キラキラの20代を過ごすのもいいが、20代も30代への通過点に過ぎない。

いつ輝くべきか?
もちろんいつ死ぬのか分からないのだから、今日を生きるというのもいい選択だ。
だが、計画を立てるに越したことはないと思う。

 

妊婦生活

卵を腹に抱えて寝ると、簡単に寝返りをうてないことに気が付く、卵を下手に回転させたくないし、温度を下げたくない。

卵を抱えるというのは、妊婦さんの気持が分かるような気がする。

いつもならできていた寝返りにも気を使い、衝撃を与えないように細心の注意を払いながら生活をする。

一度試してみれば、分かると思うが気を遣い続けるというのは、かなり大変だ。

妊娠をしていない人は、卵を温める生活をしてみてほしい。
妊婦さんの10分の1程度の不便さを味わえるかも知れない。

 

ひっくり返った虫

甲虫がひっくり返っているのを見ると、なぜこの生き物は、自分で起き上がれない設計なのかと考えてしまう。

いつまで経っても、起き上がることができないので、餓死でもしてしまうのではないか?
仕方なく、割り箸で助け舟を出すが、何度もやっているとわざとやっているのかとも思えてくる。

だが、そんな虫の中に優秀な虫もいた。
自分は、ひっくり返ることがなく、ひっくり返った虫を助けていたのだ。
私は、その虫がとても輝いて見えた。

虫には。感情がないと思っていたが、あるのかも知れない。
私たちが、気付かずうちに潰している虫というのは、とても痛がっているのかもしれない。

小動物にも性格があるのだから、虫にもあるのだろう。
そう考えると、害虫という言葉が、薄まっていき、地球上で過ごしている仲間のようにも見えてくる。

この前部屋にいた蜘蛛を私は、潰そうかと一瞬迷ったが、紙の上に移動させ、そのまま外の壁につけてあげた。

そういった小さな優しさは、どこかに消えていってしまうかもしれないが、自分がそう言った些細な優しさを与えられるのだと思うと、少し嬉しくなる。

 

小説を書くための勉強

小説を書くための勉強というのは、プロットを作るとか色々あるらしい。

だが、試してみても納得がいかず、結局はスタート地点に戻る。
私が一番いいと思うのは、ただ読んで、浸ることだと思う。

インスピレーションは、いくらでも出てくるが、大切なのは、仲間になりたいと感じることだ。
友達というのは、数人が集まって構成されるが、仲間というのは、一人一人、独立しているものだと思う。

野球が上手い人がやっていることを真似するには、まずは動きを見た方がよく、勉強が得意な人がいたら、ノートを見るのがいい。
私は、小説を書きたいので、読まなければいけない。
ただ、読んで、感じて、書くしかないのだ。

6月に入れば、作品の完成を目指して頑張っていきたいと思う。
応募する予定だ。
長い戦いになるかも知れないが、自分が面白いと思うものを書いてみたいと思う。

 

終わりに

今回は、いつもよりも少ないかも知れない。

最近は、夜の月がとても綺麗で、その明るさで心が浄化される。

3月に診断された円錐角膜は、右目も発症していた。
月が、白い円の集合体に見えてしまう。

月がたくさんあるのは、結構だが、増えて見えても仕方がない
一つしかないのだから。


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