週末の唄 第十一回 個人的な今週のエッセイ R6.6/23-6/30

今週も個人的な今週のエッセイを書いてきたいと思いますので、興味があるところだけでも読んでもらえたら嬉しいです。
お品書き
『遮光』
私の好きな作家である中村文則さんの『遮光』
『遮光』のあらすじはというと、「虚言癖」の主人公は、恋人の美紀が交通事故で死んだことを隠し、彼女が留学していると嘘をついている。
彼が普段から持ち運ぶ黒いビニール袋の中には、瓶が入っておりその中身は__。
といった、感じである。
この作品は、芥川賞を受賞しており初めて読んだ時は、かなり衝撃的だった。
読んでいるうちに気持ちのいいように狂気が体に染み入ってくる感じがするのだ。
序盤の主人公は、タクシーを拾い運転手に向かって、子供がもうすぐ生まれるという話をする。だが、そんなことはなく、主人公はそのまま目的地のカフェに向かい、待ち合わせしていた女に適当な嘘をつく。
幸福な人間を演じなければといった、世の中の人間に対して、大きなメッセージを伝えているような作品で、何度でも読みたいお気に入りの作品である。
ちなみに初めてこの本を知った時というのは、別の本の帯にピースの又吉さんがこの本をおすすめしていたからだ。
誰かのおすすめというのは、都合がいい。
好みさえ似ていれば、望んでいるものに浸れることができるのだから。
初 HUNTER×HUNTER
『HUNTER×HUNTER』の主要人物の名前くらいは知っていた。
だが、絵が苦手で、昔、たまたま見た話にでてきた主人公が何だが、自分好みではなく、ほとんど見ずに生きてきた。
AmazonのprimeVideoで何となく興味が湧き、一話から見てみることにした。
面白いではないか!!
『HUNTER×HUNTER』の作者である、冨樫さんは、『幽遊白書』を描いている。
私は、『幽遊白書』の方は、昔、AbemaTVで一挙放送を見た時にハマってしまい、120話近くのものを何回か繰り返し見たことがある。
『HUNTER×HUNTER』を見ながら私は、主人公のゴンを完全に応援していた。
ゴンが悔しがり、泣くシーンで私は涙が出そうになった。
そして、主要メンバーたちが、悔しがるゴンを慰めて、褒めているシーンでもだ。
『HUNTER×HUNTER』は、バトル系のアニメなのだが、成長していく主人公達が力だけではなくて、内面も磨かれていくというのが面白い、少年ジャンプも捨てたもんじゃない。
ちなみに『ワンピース』で私が涙を堪えるのに必死だったシーンは、ホールケーキアイランド編で、サンジがルフィをボコボコにするというシーンだ。
ワンピースは、長いので、なぜそこが感動ポイントなのかは書かないが、そこでサンジが本心を隠して、仲間を殴るシーンはかなり泣ける。
私たちは、映像に共感をしている。おかしな話だが、それだけ共感力というのが重要だと教えてくれている。
何かに共感した時というのは、注意深く自分を観察してみよう、何かきっかけのようなものがあるかもしれない。
人は、皆違う。
共感する箇所も、面白いと思う箇所も
面白い作品というのは、自分がそれを見つけられたかどうかなのだと思う。
片腕のマンバン
大型のスーパーに買い物に行った時、片腕のマンバンを見た。
男性のヘアスタイルで、マンバンというものを知っているだろうか?
サムライのように髪を束ね、頭の中心の少し上から下をバリカンで刈り上げるという髪型だ。
一家の大黒柱らしき男性がその髪型をしていた。
とてもかっこいい髪型だったので、何となく見ていたのだが、その男性とすれ違った時に右腕がないことに気が付いた。
Tシャツから右腕が出ていなかったので、肩あたりからないのだと思った。
その男性は、大きな体格だったので、機械を操作している時に片腕を落としてしまったのかと勝手に考え、その家族には、中学生くらいの男の子がいたので、職からは離れておらず、信頼されていると勝手に考えていた。
そして、何よりもマンバンは髪を頭の上で縛るわけだから、片手がないのであれば、どうやって縛っているのかということが気になって仕方がなかった。
誰かに縛ってもらうという以外の方法がどうしても思い浮かばず、その家族をもう一度、見つけるまでの間考えていた。
身体障害者に対して、子供の頃は、少し抵抗感を持っていた。
人との違いが目に見えるという差別のようなものが湧いていたのだと思う。
違和感を消すことは、難しい、どんなことであれば、理由を考え納得し、それが普通になり、定着するまでにはかなりの時間がかかる。
身体障害者に対する外見の差別、性別違和、私はそういったマイノリティに対して自分の中から芽生えるものに気が付いた時にそれを消すことを使命のように感じていた。
人が嫌いであっても、その嫌いというのが、差別意識からくるものではないという一種のプライドのようなものがあった。
「私がお前を嫌いなのは、手が生えていないからではなくて、人に冷たく、常に人を馬鹿にしているからだ」というものだ。
先ほど、片腕マンバンのことは、もう一度、みつけるまでの間考えていたと書いた。
つまり、その男性はTシャツの中に右腕を引っ込めていただけであり、片腕を失っていたわけではなかったのだ。
髪の毛の縛り方に興味があった私は、その男性への興味を失い、第3の答えを胸にしまうことにした。
サバイバルの夢
私が夢の中で楽しんでいる時というのは、サバイバルをしている時が多い。
少しグロいかもしれないので、そういったものが嫌いな人は、飛ばして読んでほしい。
相手が、銃を撃っていた。
私は、岩陰に隠れ相手に石を投げていた。
私は、銃を持っていなかったのだ。
そして、相手に石を投げていると、相手の動きが止まる。
私は、すぐに相手の方向へ走り出す。
石を何度も投げ、相手がこちらに攻撃できないようにする。
相手を地面に押さえつけると、何度も大きな石を頭に落とし、相手が意識を失う繰り返した。
その相手は、昔の友人だったと思うが、夢の中に感情は出てこなかった。
その夢の目的は分からないが、私たちは携帯端末を渡されており、殺し合いながらどこかへ向かっていくのだと直感していた。
潰れた顔の男の体を確認し、何か持ち物がないかを探した。
携帯端末と、銃を手にいれる。
私は、その場から離れるのだが、近くのトラックからナイフを手に入れた。
ナイフを手に入れたのではなくて、ナイフを探していたのかもしれない。
そのナイフを手に入れると、男の両手を切り落とした。
携帯端末というのは、指紋認証のような気がしたからだ。
私は、石で敵を潰し、その後、携帯を使うために手首を切り落とした。
私は、黙々と作業をしておりその場から去る時に夢は終わった。
何かメッセージがあるのか、
何かに追いかけられる夢というのも、私は大好きだ。
スリルを味わえる。だが、何かに追いかけられる場合は、相手が圧倒的な力と余裕を持っていなければつまらなくなってしまう。
私は、恐怖を味わうためにその夢を見ているのだから、反逆できたり、相手がこちらを見つけるのに苦労してしまってはつまらない。
夢は、忘れた方がいい。
現実と夢の区別がたまにつかなくなる時があるからだ。
だが、その夢が言葉で説明ができるような夢であるほど、記憶に残ってしまう。
美味しい草
虫というのは、野菜に群がるため、薬を撒かなければならない。
ジャガイモであれば、葉っぱを虫に食われ、ジャガイモ本体をネズミに食われるなど悲惨である。
害虫は、小さい癖に一口ずつ齧っていくからタチが悪い。
人間と交渉力を持った生き物がいれば、一定数の野菜を渡すことで取引が成立する。
そんなことが、あればいいなと考えていた。
そして、私が思ったのは、畑に生えている葉っぱに虫はついているが、その横に生えている雑草には、一切、虫がついていないということだ。
やはり、野菜の葉っぱの方が、美味しいのかと思ったが、私は、雑草が最強の生物だと思っているので、雑草の戦略なのではないかと考えた。
生き物の戦略というのは、大きく分けて、二つのパターンに分かれる。
生きるスパンが短い生物と、長い生物だ。
雑草と、木
ネズミと、象
今まで、生きているということは、進化してきた戦略があっていたということであり、生き物は、魅力的な特徴を手に入れ、自然界を生き残っている。
早く死に、多く発生するものと、長く生き、大きく育つもの
人間はこの中間だろうか。
雑草は、命が短いが、その命は絶えることがない。
それに比べて、木というのは、何百年と生き自殺するスイッチが作動しない限りは、生き続けるものだ。
自殺する理由は、死ななければ突然変異が起きないので、一気に絶滅する可能性があるからだ。
木は、根を張り栄養を吸収するため、森で雑草のような弱い植物は、生きることが難しい。あたり一面から栄養を吸収すれば、他の生き物の栄養を奪うことになるからだ。
私たちを悩ませている雑草は、コンクリートを突き破っていたり、基本的にどこにでも生息している。
私が雑草が最強だと思う理由は、生命のスパンにある。
生き残るために必要なものは、突然変異だからだ。
突然変異によって、雑草は、虫が寄りつかないような状態を獲得したのではないかと私は、予想している。
そうすれば、栄養を生み出すために必要な葉っぱを食われることはない。
葉っぱが美味しい雑草、もしくは、葉っぱが不味い野菜があれば、人間にとっても虫にとってもウィンウィンの世界が来るのではないかと考えていた。
野菜には、寄りつかず、全ての虫が雑草を食べてくれれば、私たちは、野菜を処分することはなく、草をむしる必要もない。
私の理想だが、害虫を駆除しようとは思わない、害虫も生きれるような世界になってくれればいいと思っている。
生態系が崩れる方が私たちにとっては都合が悪いし、共存するということが大切なのだと思う。
私は、ミルワームを飼い始めてから、芋虫を可愛いと思い始め、虫が懸命に生きているのが儚く、美しいものだと感じるようになった。
もちろん、蚊が来たら潰すし、クモやカメムシが、肩に乗っていたら深呼吸をしてデコピンをする。
生き物の格差も無くなっていくのだろうか。
森のシェア
都会では、本棚を月料金で買うことができ、その本棚に自分の本棚を作ることで、誰かと本の趣向をシェアできるというものがあるらしい。
そして、最近では、都会に森を作るというものもあるらしい。
公園のような場所に各自が好きな植物を植えるというものだ。
その場所も月料金で借りることができて、軽食を食べながら利用者と会話ができるという魅力がある。
私は、このシェアする自然が、とても感動した。
都会に自然を増やすことができるが、誰か一人がやるのではなくて、コミュニティを作り、場所だけを提供しているからだ。
そのような場所が増えていければ、緑豊かな街になる。
私は、これらの取り組みを見ていて思ったのが、何人かが集まった方がやっぱり、効率がいいということだ。
最近の私の脳みそは、虫に支配されている。
私が、事業を行うとしたら、家庭で出た、生ごみや食べ残しを一箇所に集めて、虫に食べてもらうということをしてみたい。
虫は、邪険にされているが必ず、利用法がある。
ミルワームは、なんでも食べてくれるし、成虫になって羽がついてもほとんど空を飛ばない、一匹で200個卵を産むらしいので、繁殖力もある。
ハリネズミやハムスターのおやつだったり、爬虫類の餌になったりするものだ。
そして、彼らは共食いをするので、増え過ぎてしまっても問題はない。
彼らの糞を肥料として、使うことができれば、最高ではないか。
世界では、セミを食べたり、虫を食べる人もいるので、ミルワームも食べることもできるだろう。
家庭で、ペットとして飼うのは、勇気がいると思うのでまずは、ミルワームの生息地のようなものを作り、そこに生ごみを捨てるようになれば、かなり環境にやさしいのではないかと思う。
問題は、ミルワームは、なんでも食べるので人も食べられてしまうということだ。
死体遺棄などの手助けをしてしまうので、実現は先送りになりそうだ。
不幸な人間
どうやら、幸せな人間というのは、不幸な人間が気になるらしい。
幸せというのは、自分で感じるものだが、外側から見て、不幸に見えているのであれば、それはどうなってしまうのだろうか。
一人でいることが、好きな人がいれば、それを可哀想だと思い込む人もいる。
幸せな人間がどんな人間なのかというのも同じだ。
あの人は、恵まれていていつも笑っている。
そんなことを感じても、夜は、泣いているかもしれないし、笑顔だって、作り笑いかもしれない。
私たちが気になるのは、なんなのだろうか。
私は、これに終止符を打つことにした。
遠くで、しゃがんで花を見ている人がいる。
これを幸福だと思うのであれば、その人の顔は笑っているかもしれないし、隣に誰かがいて、楽しそうに会話をしているのかもしれない。
逆に不幸に思うのであれば、その人の顔には一筋の涙が流れているのかもしれないし、花が踏まれているのかもしれない。
私は、これを花が好きなんだなと勝手に考える。
誰かが、店員に文句を言っていたら、その人に悪い印象が湧くかもしれない、怒られている店員の味方になりたくなるかもしれない。
だが、私たちにとって関係のない出来事に首を突っ込むと時間の無駄だ。
なので、私は、この人は怒鳴るのが好きなんだなと勝手に考える。
解釈を変えると人生が楽になり、楽しくなるかもしれない。
好きでその行動をしていると考えることで、不合理なことや効率の悪いことに説明がついてしまう。
これも一つの考え方なので、試しにやってみてほしい。
面白いと思う。
自分の作ったキャラクターに恋をする
三体の黒暗森林をやっと手に入れた。
三体の第2シリーズの文庫版である。
以前、本屋に行った時は、黒暗森林の(下)だけが本屋にあり、(上)がなかったのだ。
あらすじ
文化大革命で、父親を惨殺された葉文潔(イェ・ウェンジエ)は、人類に絶望していた。そんな彼女は、ある時、軍事基地にスカウトされた。
そこでは、人類を左右するかもしれない極秘プロジェクトが進行していた。
数十年後、三つの太陽をもつ異星を舞台にしたVRゲーム『三体』に研究者の汪森(ワン・ミャオ)が入り込む。
世界では、科学者たちが次々と自殺しているという奇妙な現象が起きていた。
ある時、汪森の視界にカウントダウンが映る。
カウントダウンは、何を示しているのか、『三体』に隠された真実とは。
『三体』はかなり面白いSF作品だったので、かなりおすすめです。
そして、今回、この本を読んでいてとても興味深い文を見つけました。
それは、理想の相手を小説に書いた人物が、登場人物に恋をしてしまうというものです。当人は、それを深刻な状態だといい、助けを求めるのですが、それに対しての言葉がありました。
それは、大部分の人間の恋愛対象も想像の中に存在しているということです。
私は、その文にハッとさせられました。
つまり、私たちが恋をしているのは、その相手ではなくて、私たちの中に存在するその相手だということです。
私たちは、相手のことを正確に知っているわけではありませんし、それを確かめる術もありません。
つまり、想像に恋をしているという面では、自分で書いた小説の登場人物も現実と変わりはないということです。
そして、物語とは、いかに登場人物に恋をできるか、共感できるかなのではないかと思いました。
ただ、人をかけたとしてもそれが、魅力的でなければ、一緒にその続きを見ようとは思いません。
作家というのは、理想的な登場人物を描き上げて、その人の行動を覗くようなものです。
恋をすることで、正気が保たれるのであれば、何に恋をしてもいいと思います。
私は、それを応援します。
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