第四十七回 個人的な今週のエッセイ R7.03/02-R7.03/09

ブログ活動

 

 

お品書き

 

 村田沙耶香さん 新作

私は、私の好きなアーティストが新曲を発表するたび、私の好きな映画監督が新作を発表するたびに、体の内側が熱くなり、震えが起こる。

お気に入りの人から生まれたものが、また、私たちに新しい何かを見せてくれる。そんな期待があり、いざ実食すると、やはり内側がそれと共鳴したような感覚を感じられる。

村田さんは、初の長編を書いたそうだ。本人がインスタグラムで投稿していたのを見て、それで近くの本屋に寄ってみると、確かに並んでいた。早速買おうとも思った。いや、買うべきだと思ったのだが、よくよく考えてみると、人から借りている本、図書館から借りている本、そして自分が買って読んでいない本。それぞれが、本棚の一角に埋まっていた。

本というのは、一体なぜ、あんなにも簡単に、勝手に増えていくのだろう。私はその疑問を頻繁に思い浮かべる。

私は悩んだが、『まだ買わない』という選択をした。
誕生日が近いということを思い出し、その時に自分にプレゼントしようと思ったのだ、それまでに積読も読み進めていかなければならない。未読たちに占拠された本棚を空けられるように頑張りたい……。

人は、楽しみがあるおかげで生きていけるのではないかと思うことがある。
些細な楽しみが、私たちを明日へと連れていき、その楽しみを解消した時の些細な絶望と共に、また新しい楽しみと出会う。そうして、バトンをつなぐように私たちを未来へと運んでいるのではないかと思う。

好きが全くないという人は、ほとんどいないと思うが、好きがない人は不便だと思う。だから、ただ鈍感であって、周りからすれば「それが好きなんでしょ?」というような楽しみに気がつけていない。であれば、多少の不便さは解消されるのではないかと思った。

問題は、好きな人たちが活動を辞めた時だ。
残ったものを見方を変えて楽しむしかない、それに飽きた時にまがいを作り出すのかもしれない。

 

 

機種変更

ケーズデンキでは、iPhone14、15の特価セールが行われていた。
値段を聞くと、新品のiPhone15が6万5千円くらいで買えるという。
私は、早速携帯を購入した。
だが、よくよく考えてみると、私のiPhone seは1年と3ヶ月ほどしか経っていなかった。
前回の携帯は、起動後数分で電源が落ちてしまうという病にかかり、交換を余儀なくされた。
連絡手段が途切れてしまうと不便であったので、買うしかなかった。
今回の特価はドコモで行われており、16が発売されることから、売れなくなるだろうということを予測し、安売りをしているとのことだ。それに15自体も数が多く余っているらしく、そのため値段を下げて販売をしているという。

いつまで、行われるのかは定かではない。だか、確実にお得だと言える。
私は今使っているiPhoneを下取りに出せば、2万円ほどで売れるはずだ。よって今回の機種変更は、ハイグレードの携帯を元の半分の値段で取引できたと言ってもいい。

携帯を買い終えると、フィルムやケースを買わなければならない。
ケーズデンキに並んでいた商品は、『ブルーライトカット○%!!』『反射防止』など多様な品揃えだった。だが、私が買おうとしていた、『覗き見防止』のフィルムが売っておらず、探すことにした。

最終的に見つけたのは、セリアという100均で、家に帰ってからつけてみると、クオリティに驚いた。気泡が入りにくく、それなりに綺麗に晴れることができた。失敗しても100円だからと思っていたが、年々製品の質を上げる100均に興味を持った。

 

 

 美術館

東京都現代美術館では、『坂本龍一展』が開かれていた。自動で鍵盤が押されるピアノと映像技術を用いて、坂本龍一さん本人が実際に演奏をしているような、展示があった。普段、私が聴く、坂本龍一さんの曲が流れた時は、心底嬉しかった。どんな人かは知らないが、音楽は最高だ。

美術館というのも、ジブリの三鷹の森美術館にしか行ったことがなかったので、どうやって楽しむのかが、正直分からなかった。
だが、ふと目にとまる作品がちらほらある。その作品に惹かれるのは、やはり、私の内側の何かが共鳴しているのではないかと思ってしまう。
そのモヤモヤが解消された時にその作品に意味が生まれるのではないかと思う。

すれ違う人間は、口口に「分からない」という。

初めは気にしていなかったのだが、何かが突っかかった。そもそも、分からないってなんだと思ったのだ。私たちは、他の人の考えなんて分からない。あくまで、表情や声色、立ち振る舞いを見た上で予想をしているにすぎない。私たちは心から分かり合えず、あくまで他人として存在している。そういうものだ。

芸術家というのは、分かって欲しいと思い、作品を作っているはずがないと思った。であれば、分かりづらくする必要がないからだ。自分のセンスに従って生み出されたものに、誰かが価値を感じ、そこでは初めて認識される。

美術というのはそういうものではないかと思った。
作品が何を表しているのかを観るのではなく、作品を観た人たちが何を感じているのかを観るものではと感じた。

ちなみに私はお気に入りの芸術家を見つけることができた。『漆原英子』さんという人だ。なんだか、私が好きなセンスをしていた。不気味さと斬新さが合わさり、細部に至るまで合理的な絵に感じられた。

よく分からないものを、見て、考えてというのは、かなり疲れることだが、意味がある時間を過ごそうと、躍起になっている人たちにとっては、いい時間潰しだと思う。映写機の博物館であったり、都内は、よく分からないものが集まっている。たまには、いいかもしれない。

 

 


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