第五十三回 個人的な今週のエッセイ R7.04/13-R7.04/20

ブログ活動

 

 

お品書き

 

今週の映画

「ヘルレイザー」という映画がprime videoに追加されていたので早速見てみた。タイトルを検索した時に出てくるキャラクターがとにかくかっこいい。恐らくだが、このデザインは様々な作品に影響を与えていると思えるほど精錬されている。怖さ、かっこよさ、意味不明さが絶妙に交わっており、それを演出できるクリエイターが天才だと感じた。中でも、セノバイトの「ピンヘッド」(頭に釘が無数に刺さっている)や「バターボール」サングラス)、「チャタラー」(歯をカチカチさせている)は一度見れば忘れられないデザインをしている。彼らが主人公ではないということが、この映画を見ていて一番驚いたことだった。
1980年代のホラー映画なのだが、昔の荒い映像は怖さを引き立たせてくれる。怖いものを見たいという感情を技術的に誤魔化すというのが昔の映画だと思うが、今はリアルに描かれすぎている。細かいところまで描かれてしまうと、『分からない=怖い』が緩和され、『見える=理解した気になる』ことから怖さをほとんど感じない。その代わりにびっくり要素が追加されるので、心臓に悪い。映像的に荒い部分があることと同様にストーリーに不鮮明さが残る。分からないが怖いに繋がるように、あえて説明をしないということをしているのだと思うが、それがカルト的なファンを生み出しているのではないかと思った。

あらすじはあえて書かないことにする。

 

 

選ぶ人、選ばれる人

メルトクラシーという言葉を知っているだろうか? 生まれや階級によらず、能力で評価される社会というのをメルトクラシーという。能力は努力でいくらでも伸ばすことができると思われていた時には、この考え方は好きだった。しかし、「努力の遺伝子」が見つかったことで、階級や生まれと変わらない、平等でない社会の構造に変わりがないと、落胆した。

できる人間ができない人間の気持ちなどわかるはずがない。できないことが単にだらしないからなのか、それとも病気だからなのかの判断がつかないからだ。例え病名がつかなかったとしても、世の中に出ていない病気だという可能性もある。そんな可能性を「だらしない人間」という一括りでまとめてしまうことは手間をかけずに自分を納得させることができるが、理解しようとする労力すら惜しいのだと思っているのかもしれない。

この世には選ぶ人間と、選ばれる人間がいると思っていた。能力が高い人間がそれよりも能力の高い人間に選ばれるのだとばかり思っていた。選ばれるために、いい学校に行き、いい資格を持ち、目にみえるステータスを身につけることで、人は選ばれやすくなるのだと思っていた。そして、私はそれが気に食わないと感じていた。仕事を選んでいるといっても、条件のいいものを比較して選ばされているにすぎず、それは自分で選んでいるということにはならないではないかと思う。

自分が使える人間だと、人に認めてもらうために努力をするというのが、自分に嘘をついているようで嫌なのだ。だが、選ぶ、選べれるの関係について一つ発見をした。
話を置き換えると、恋人や結婚相手をそこまで選んでいるか?ということに近いのかもしれない。
恐らくだが、ほとんどの人はそこまで選んでいない。
「この人がいい」というよりも、「この人でいい」の方が圧倒的に多いのではないかと思う。
飲食店でメニューの中から商品を選ぶように、人生の中で関わった人たちの中から、妥協をする。

社会と接続するには仕事か、家庭を持つことだと思う。
それらにこだわりすぎていては、除け者にされ、リスクを負うことになる。何でもいいから、手に職をつけ、誰でもいいから結婚をし、でも最低限自分の条件を満たすものを選ぶ。それによって社会で除け者にされない選択をし、安心する。

「中小企業は人を選ぶことにそれほど、こだわってはいませんよ」
最低限の人数が決まっていて、その中でましな人間を選んでいる。

選ぶ人、選ばれる人はもっと上の方で起こっている。その競争の中で戦いたい人だけが行けばいい。私は降りる、自分のためではなくて、人のために努力をするなんて、そんなくだらないことはできないから。

 

 

静寂のタイピング

先々週、カフェでブログを書こうと思い、雨が降る中、車を走らせてカフェに向かった。麦茶を頼み、席に向かおうとすると、
「勉強でのご利用はできませんが、よろしいですか?」と言われた。
私は別に勉強をしに来たわけではないし、学生でもない。だが、店員の言っていることがよく分からなかったので、
「本なら、読んでもいいですか?」と意味の分からないことを言った。
席につき、本を開くが横からタイピングの音が聞こえる。私の右側では40代ほどの女性が、パソコンを叩いていた。そして、左側ではノートを広げ、パソコンを見ている20代ほどの女性がいた。なんだ、勉強も仕事もしているじゃないか。だが、私は先ほどの店員との会話があったため、本を読むことにした。本来の目的とは違った行動をしてると、頭がおかしくなりそうになった。

その反省を生かし、私は図書館でブログを書こうと思った。
テーブル席では「パソコンを叩いてはいけない」とは書いていない。「飲食をしてはいけない」と書いてあったが、私は飲み物を持ってきていなかったので、関係のないことだった。
何人かの人たちがテーブル席で勉強をしているように見えた。イヤフォンをし、ペンを走らせている。私も早速、パソコンを開き、ブログのページを開いた。

文字を打ち、思いっきりエンターキーを押す。
「カシャン、タタタ、タタタタタ、カシャン」
私のタイピングの音が図書館に響いているように感じた。私はあまり強くキーボードを叩かないが、ある程度の速度になってくると、エンターキーを強めに叩くことでリズムをリセットしている。他にキーボードを打っている人はいないし、図書館にはBGMは流れていない。またもや失敗したなと感じた。私はできるだけ音を立てないように、静かにタイピングをした。文字を打つスピードを落とし、言葉を練った。

最後の文章を打ち終わったときに、エンターキーを少し強めに叩いた。

 

 

おすすめ貯金箱

『アルフォート貯金』というものをご存じだろうか。
「闇金ウシジマくん」という漫画の中に面白い貯金箱が紹介されていた。お菓子の箱を使った貯金箱である。『アルフォート』チョコレートの箱は、札がちょうど入る大きさで、厚さが一センチもある。つまり、アルフォートに一万円を入れていけば、最終的に100万円は貯まることになるのだ。
銀行に預けたり、金にしたり、株式にしたり、資産をどのような形にするのかは自由だが、私はしばらくアルフォート貯金をしてみることにした。とりあえず一つ目を完成させたい。一万円札ではなく、千円札であれば10万円は貯まるだろう。

とりあえず、スーパーでアルフォートチョコレートを買った。
貯金箱として使われるなんて、誰も思っていないだろうと思った。

 

 

赤い棒

私は街へ出ることがあった。食べたいものがあるとか、欲しい服があるとか、そんな目的があるのではなくて、人を観察するために外へ出た。客の服装、髪型、選ぶ商品、探している商品、それらを見て、その人の性格を予想したりした。
コンビニの店員は、蚊の鳴くような声で、私に何かを言っている。要りませんと適当に答えると、それはどうやら当たっていたようだった。店員は手に持ったビニール袋を棚の下にしまい。私が会計をするのを待っている。この店員はなんのために働いているのだろう。何か夢があってそれを追っているのか。それとも、なんとなく金銭が必要だと思い、働いているのだろうか。両親が病気なのだろうか。弟の学費のためだろうか。女性店員は俯きがちで、目の下にくまができていた。
車で工事の看板を見た時、横道に入ろうとしたが、そんな横道はなかった。私は工事作業員の表情を見るのが嫌いだった。死んだ目で赤い棒をダラダラと振っている。そんな姿を見ていると、こちらまで死んだような気持ちになる。だが、避けることはできない。看板に従ってそのまま進むことにした。

その作業員は、柔らかい笑顔を浮かべていた。私の母親と同じくらいの年齢で、とても小柄だった。サイズのあっていない作業服を着て、赤い棒を重そうに振っている。その女性がなぜ作業員をやっているのかが分からなかったが、なんだか元気をもらえた。その人が会釈をしたので、私も返した。その先には若い作業員が立っていた。どんな表情をしているのか見ていないが、私はその男性にも会釈をした。

 

 

ランニング

おじさんが向こうから走ってくる。白いTシャツに膝上のズボン。フレームのないメガネが汗で滑り、それを上げると同時にシャツの裾で顔全体を拭きながら走っている。なんだか、懐かしい気持ちになった。

私は走ることが好きではなかったが、筋トレの効果を上げるためにランニングをすることがあった。ただし、走りすぎると、脂肪よりも筋肉が落ちてしまうので、20分だけ走ると時間を決めていた。ランニングをして、筋トレをし、プロテインを飲んだ。

おじさんが通り過ぎる時に荒い呼吸音が聞こえた。ゼエッ、ゼエッと口を半開きにしながらかなり苦しそうに走っていた。足元はふらふらとしており、彼の大きな体は左右に振れていた。走りすぎても意味がない。そう伝えるべきだろうか。一旦休むべきだ。そこの川を見ながら、腰を下ろすべきだと。伝えるべきだろうか。考えているうちにおじさんの背中は小さくなっていった。今から、走れば追いつくだろう。私はそんなことを思いつつも、おじさんが視界から消えていなくなるまで、じっと見ていた。追いつけないと分かるまで、じっと見つめていた。

 

 

終わりに

春が来たと思ったら、もう夏なのではと思えるほど気温が上昇している気がする。私の家のうさぎは、体を床に放り投げ、床の冷たさを感じながら鼻をヒクヒクとしきりに動かしている。
最近のきなこちゃんの行動は面白いもので、トイレで用を足すのではなくて、わざわざトイレの上に登り、網の上から用を足している。糞が落ちる音がいつもより大きかったりして、私は気付く。
「この子は一体、何をしたいんだろうか?」
私はうさぎの意味不明な行動には、明確な意味が含まれていると思っている。スカイツリーのてっぺんから立ちションをするようなものだろうか? そんなことを考えながら。エンターキーを叩く。

また一週間が始まる。

 

 


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