週末の唄 第二十二回 個人的な今週のエッセイ R6.9/8-9/15

お品書き
パルプ・フィクション
タランティーノ監督の映画、パルプ・フィクションを観た。
チェンソーマンという漫画を読んだ時に原作者がパルプ・フィクションに影響を受けたと聞いたので、前々から気になっていたところだ。
ちょうどprime videoに追加されたので観てみることにした。
タランティーノ監督の影響を受けたという言葉をよく聞きが、一体どういった影響を受けたというのか、そんなことを考えながら観ていたが、その意味が分かった気がした。
オマージュが圧倒的に多い、それがタランティーノ監督の特徴だと思う。
小道具だったり、セリフ、
監督は様々なところから盗んでいると公言しており、しかもほとんど丸パクリのものもある。
確かにチェンソーマンのOPには、かなりいろいろなものが盛り込まれており、知っているものもいくつかあった。
漫画にもそれが色こく現れているのだと思う。
受け継がれていくオマージュは色褪せることなく、新鮮さを保ち続け愛される要素になっているのだろう。
ピカソも盗んでいたと聞くし、音楽家も同じだ。
面白いもの、よく見られるものの本質は変わらないと思うので、そういったものをうまく盗める人が成功するのかも知れない。
このままだとパルプ・フィクションの話をせずに終わりそうなので簡単なあらすじと思ったことを書いていこうと思う。
この作品は、オムニバス形式という技法が用いられており、短編をまとめた内容になっている。
レストランの強盗カップル、マフィアの二人組、八百長ボクサー、薬で瀕死状態に陥るマフィアの女
そして、実はタランティーノ監督自身も映画に出演している。
なんとなく、演技が下手だと思って見ているとまさかの監督だったので私も少し驚いてしまった。
音楽と演出がいい感じだったので、また観ようかと思っているが、私好みの映画ではなかった。
BUTTER
柚木麻子さんの小説、BUTTERを読んだ。
たまたま兄弟が持っていたものを借りたのだが、なかなか私好みの小説だったので、紹介していこうと思う。
世の中の偏見について強く訴えかけている作品であり、『流浪の月』や村田沙耶香作品のようなテイストの作品で考えさせられる内容だった。
この本で感じたものは、いくつかありそれを考えていく。
- なぜ、男は太っている女性に差別的なのか?
- なぜ、手間を嫌うのか?
この本は読み返したいと感じるような違和感を拭いされていないので、再度読み直していきたいと思うが、とりあえず今思っていることを書いていこうと思う。
この本の主人公リカは、女子校時代に王子様と言われるようなスラリとした女性だった。
当時、世間で有名になっていた梶井は、関わった男が次々と死亡していたことをきっかけに逮捕され留置所に拘束されていた。
梶井の記事をどうしても書きたいリカはどうしても梶井から事件の話を聞くために梶井の好きな料理の話で信頼関係を築いていこうと試みるのだった。
梶井は、決して痩せているとは言えない体型であったが、梶井は自身の脂肪を誇りの思っていた。
自分の好きなものでできた自分を食べたい、そんな自信が彼女の内側を包み込んでいたのである。
世間では、なぜ梶井が男を虜にしていたのか、どこがいいのかという話題で溢れていた。
太っていること、綺麗でないことに対して強い嫌悪感を示していたのだ。
リカは、梶井とは反対にスラリとした体型であり、ストイックな性格も相まって、出版社の花と呼ばれていた。
梶井と会うにつれて、影響されていったリカは、面会をするようになってから体重が10kgも増えてしまう。
しかし、リカは太っていることが悪、女は綺麗でなければいけないといった女性だけが求められるものに疑問を抱くようになっていった。
それは、梶井と話をしていくうちに彼女が世間で言われていたものと大きく違っているように見えたからである。
その人がどんな体型であったとしても関係ないはずだ。
外を見て、内側を知った気になっているという脳死を突かれてしまったと同時に痩せていることになぜこだわってしまうのか、太っていることがなぜ悪いとされてしまうのかを一度考えるべきだと感じた。
痩せていることが正しいことだと世間は思い込み、そのせいで、過剰なダイエットをしたり、摂食障害になってしまう女性がいたりする。
世間の目が病人を作り出すのかも知れない。
そんな恐怖を感じた。
2つ目は手間についてだ。
今回挙げた2つのことは、私自身の考え方の反対側を見るという点で考えている。
答えが出てしまうと、反対側の意見を受け入れづらくなる。
反対側の意見を知った上で、柔軟に選択できる強さが必要だと思っているので、今後もこういったものに触れていきたいと思う。
手間について私が感じたことは、料理は効率が悪いと考えている時期があったからだ。
時間と栄養を掛け算したものが、効率の良い食事だと考えており、手間をかけることは完全なロスだと思っていた。
食に関心が薄いという私の性格から料理は単に栄養補給であり、楽しむという意味が分からなかったのだ。
料理に手間をかけるというのは、つまりは、日常を大切にすることだと私は思う。
効率的にというのは、自分が進みたい方向へ行くために近道を探すことだと思うが、そうするとなんだか、未来のために生きているようで今を大事にしていないように感じる。
掃除をするということも手間に感じてしまうかもしれないが、自分の生活空間を綺麗に保つことは日常を大切にしている証拠だ。
日常を維持することをサボってしまう人が多いのではと思う。
美味しいものを食べるために料理をして、綺麗なところに住みたくて掃除をして、健康になりたくて散歩をする。
そういった小さな願望がめんどくささに押しつぶされてしまうことはないだろうか?
日常を大切にする、日々の呼吸を大切にするというのは、マインドフルネスであり、人生を豊かにすると私は思っている。
BUTTERのように何かが引っ掛かっているというのは、自分の脳からのメッセージだと思っているそれを探っていきたい。
通貨
人と人との関係は、親切心が大切であると私は思っている。
お金が関わった瞬間にそれは、紙幣のようなつまらない色になってしまうからだ。
友達に何かを手伝ってもらう時にやっていけないことは、お金を渡すことだ。
見えないはずの友情に値段がつき、可視化された瞬間に萎えてしまう。
友達の関係性というのは、無償であるべきだ。
それではダメだというのであれば次に無償の手伝いをすればいい。
友達の関係は最強であると私は思っている。
自分の得意と相手の得意を共有するというのは、需要と供給が満たされているわけだが、ほとんど無償で手に入れられるのが、この友達の関係である。
自分が使っていないものは必ずある。
例えば、使われていない土地を友人に貸したとする。
その土地で何かを栽培し、利益が出たら焼肉でも食えばいい。
使いたい側もほとんど無償で環境を整えることができるのが友達パワーである。
この友達パワーを使わないものが、お金を介した契約になってくる。
この友達パワーは、自分のコミュニケーション能力のみで勝ち取ることができ、無償で手に入れることができる強みを持っている。
人の親切にお礼と言ってお金を渡すことに私は違和感を感じていた。
親切を与えられたなら別のタイミングで同じような親切を返すべきだ。
お金を信じているから、お金の関係に縋ってしまうのだ。
食への意識
食べることについて、私はこう考えている。
- 栄養を摂る
- とりあえず、腹に入れる
- 味わう
大食いは、とりあえず腹に入れることで、食レポは味わうこと、料理番組は、栄養を考えることだ。
同じ食であっても、意識がそれぞれ違うのではないかと思った。
急いでいる時に美味しいものを探そうと思ったら、時間が足りなくなるので、そこそこのものでいい。
腹に入れないのであれば、安いものでいい。
いいものを食べたいのであれば、値段を見ないほうがいい。
それぞれがごちゃごちゃになっているから文句が生まれるのだと思う。
例えば、調べもしないで入った店でメニューを見て、高いと感じ、料理を見て、少ないと感じる。
店と客の相性が悪かったのだ。
ネガティブな印象で食事をすれば、その店は美味しくないというものが舌に伝わり、実際に美味しく感じない。
そもそも、美味しい店に入りたいのであれば、下調べを必ずすべきであるし、記憶に残るほど美味しいものに値段はつけなくていいはずだ。
手間を省きたいのなら、飲食店ではなくてコンビニが1番早い。
自分がどの目的を達成したいのかを考えれば、結論はすぐに見つかるのに、たまたま相性が悪かったものを悪くいうのが私は気に食わない。
安くて多い商品を好む人もいる。
安いものは、何が入っているか分からないし、満腹になる必要はない。
私はそう考えているので、良さが全く分からない。
食への意識、目的
これは、それぞれが知っておくべきことだと私は思っている。
食に重きを置くのであれば、コンビニの食べ物は食べない方がいいが、食に関心がなく、効率的に動きたいのであれば移動しながら食べられるおにぎりなどを買った方がいい。
私は、栄養を摂るという意識が強く、とりあえず腹に入れることや、味わうことがあまり理解できなかった。
しかし、美味しい食べ物は、記憶に残るということを知ってから味わうことも重要だと感じるようになった。
場合によってそれらを切り替えることがいいと思う。
時間がなかったり、金がなかったり、こだわりがなかったり
もしかしたらプライドも関係してくるのかもしれない。
好奇心のない人
自分が苦手な人の特徴を考えたことがあるだろうか?
私はそもそも人が好きではないので、苦手な人は山ほどいるが今回は好奇心がない人について書いていこうと思う。
こちらが少し、秘密を含めた言い方をした時に全く食いつかない人が好奇心のない人だと思っている。
好奇心のない人と話していると私は疲れてしまうので、最低限の必要なこと以外は言葉を交わさないようにしている。
私のような気になる人間にとって、好奇心のない人とは脳死に見えるからだ。
疑問を持たずに目の前で起きたことをただ見ているだけ。
誰かが損をしているのを見るのが、耐えられないのでヒントをさりげなく与えてみても、良くしようとしない。
私は、無理に人を変えようとしたくないので、変わらないならいいやと諦めるが、効率の悪い行動を見ているとウズウズする。
人類は、好奇心があって進化してきたと私は思っている。
納豆を初めて食べた人は、どんな気持ちだったのか。
毒キノコを初めて食べた人のことをたまに考える。
昔は、人類のために犠牲になることを選んだと思っていたが、本当に美味しそうに見えたから口にしたのかもしれない。
そういう本能的な目の輝きにこだわってしまうから好奇心がない人のことを悪く見てしまうというのが、私の良くないところだろう。
好奇心がない方がいい理由を思いついたなら考え方は変わるかもしれない。
食欲
麩でおにぎりを作ると、虫がみんなで食べてくれる。
私はその光景を見ていると嬉しさで心が満たされている気がした。
お礼を言われているわけではないが、そのがっつく姿からは
「ありがとう」「美味しいね」と伝わってきた。
美味しそうなものに適当な感想を並べて、食事をする番組がつまらなく感じるのに違和感を感じていた。
美味しそうに見えない、本音に聞こえない。
それは、本能的な『食いつく』がないからではないかと私は思った。
無言でご飯にがっつき、涙を流すというのが、最上級の表現だと思う。
そこまでのものを見せれば、亭主も涙を流すかもしれないが、料理のコメントがないためテレビを見ている人にはつまらない。
視聴者に伝わるように加工しなくてはならないのだ。
その加工が嘘に見えてしまう、だから、食レポが死ぬほどつまらなく見える。
前回も同じようなことを書いた。
CMで猫がチュールを食べていた方が美味しそうに見える。
それは、食品を説明しているのではなくて、食欲を表しているからだ。
もしかしたら、CM撮影前に2日ほど飯を抜かれているかもしれない。
とにかく、食欲を見ているとなんだか元気になるような気がする。
食べ物を食べたくない人は、虫が餌を食べていたり、動物が餌を食べているものを見た方がいいと思う。
料理の見た目ではなくて、食欲が刺激されるようなものを
人助けの条件
道端で困っているお婆さんを見かけたら、声をかけよう。
そして、横断歩道を渡ろうとしていたら荷物を持ってあげよう。
私は、そんなことを考えたりしない。
その理由を書いていきたいと思う。
人助けは、ドーパミンが分泌されるため気持ちのいいことだ。
だが、その人助けに条件をつけてしまうと穴に陥ると私は考えている。
困っているお婆さんを見かけたら声をかけようと考えていると、お婆さんしか目に入らなくなってしまう。
困っている人がどんな人であるかは、誰も分からないのに
横断歩道を渡ろうとしているというのも同じだ。
別に困っていないお婆さんの方へかけて行く途中に通り過ぎる、胸を押さえたお爺さんに私たちは気付くことができるだろうか。
視界に入っていたとしても認識することは難しいだろう。
一つのものを見ようとすると、それ以外を見れなくなってしまうというのは、目標を捉えるためにそれ以外を考えないという脳の機能の一つかもしれない。
人助けを本気でしたいのであれば、どんな人間であっても条件にはめずに顔色だったり、仕草を見て判断するしかない。
とりあえず、声をかけてみるしか正解を見つける方法はない。
チャンスを掴むというのも同じではないだろうか?
この道で成功するんだと考えている人は、横道が視界に入っていないし、少し下がって分岐点に戻ることも思いつかない。
左手に地図を持ち、右手は頭を抱えている。
何事もそうだが、完璧な条件というのはほとんど見つからない。
だから、条件を変える柔軟性が求められる。
アドリブが得意な人間が生き残ると私は思っている。
この人かっこいいな、そんなアドリブ力をつけられるように知識を集めているのかもしれない。
新米
稲刈りを手伝うと色々なことを知れた。
米を乾燥させる時の水分量は、14%以下にしなければいけないということだったり、稲に肥料をやり過ぎると倒れてしまったり、コンバインと呼ばれる稲刈りの機械はものによっては、2000万円もするということだったり。
今年は台風の影響で米の値段が上がっているそうだ。
収穫の時期が遅くなったせいで、米が品薄になり、価格が高騰している。
私の家では、米を作っているので値段を調べたことはなかったが、30kgで1万円するということに驚いた。
新米を食べるとすれば、まずはおにぎりで、次に卵かけご飯がいい。
今週は、ずっと稲刈りだったので大変だったが、新米を食べるという楽しみが活力になった。
私の祖父が出している米は、美味しいと評判らしくコシヒカリを育てている。
祖父がいつまでもつか分からないが、同じ味を引き継げるように祖父から色々と教えてもらいたい。
世代交代で力が衰退するというのは、引き継ぎがうまくいっていないからだと思う。
どんなものにもレシピがあり、コツがあるはずだ。
そういったものを吸収するには、見て覚え、質問し、実際に試すのがいいと思う。
新米として頑張りたい。
死んだ食べ物
腐った野菜から放たれる異臭が鼻に入ると、野菜も生きているのだと感じる。
水々しさと柔軟さ、硬さ、しなやかさの黄金比が崩れ、ドロドロになってしまい、黒く変色していき、虫が湧く。
動物からする臭いというのも半分腐っているようなものなのかもしれない。
野菜はどうしても、物のように見えていたのだが、土から切り離した瞬間に生き物になる。
臍の緒から切り離された赤子のように見える。
食べ物が死んでいるように見えたのは、腐っていく過程があまりにも生々しいからだ。
何も魚だったり、牛だけが生きているわけではない。
野菜も隅々まで使い切らなくてはならない。
こうした、〇〇しなければならないといった考えが次から次へと浮かび、私自身に魔法をかけてしまうのだと思う。
終わり
最近は、風呂に入っている時が1番リラックスしているのだと思う。
浴槽に浸かり、天井を見ているとその空間が頭の中のように感じてくる。
窓は目、照明は起きている証、鏡は自分を客観視するため、乱雑に散らばった風呂道具は、思考が整理できていないのかも知れない。
たまに浴槽に顔をつけて、息を止めてみることがある。
普段吸っている空気が美味しく感じられる気がするからだ。
だが、そんなことはない空気はどこも同じ味だ。
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