第五十一回 個人的な今週のエッセイ R7.03/30-R7.04/06

お品書き
今週の本「土の中の子供」
「土の中の子供」この本は、中村文則さんによって書かれた本で、内容を簡単に説明すると、『幼少期に受けた虐待を背負った主人公の人生』を描写したものとなっている。
私が中村さんを知るきっかけになった本は、「遮光」で、こちらは『死んだ彼女の指を持ち歩く』という話になっている。
また、「銃」、「悪意の手記」などもおすすめなので、どうぞ。
今回、「土の中の子供」を約3年ぶりに読んだのだが、当時の私が、中村文則さんにゾッコンだったことを彷彿させる作品だった。
小説の序盤、主人公が不良に暴力を受けるところから始まる。
それは、主人公が煙草の吸い殻を不良達に向かって投げたことがきっかけなのだが、ここで、なぜそんなことをしたのか?という疑問が浮かぶ。
一体、なぜそんなことをしたのか。(喧嘩したかった? 注意したかった?)
一見すると意味不明な彼の行動は、幼少期に彼が経験したことが引き金になっていることが分かる。
人間の底はどこなのか?暴力を振るう側と暴力を振るわれる側、その間にある圧倒的な差がこの小説ではリアルに描写されており、現実のニュースなんかでたまにでる、児童虐待やいじめ、その奥を見ることができる。
私は虐待を受けたことはないが、それはどこからが虐待なのか?暴力を受けていなかったとしても、言葉による精神的な虐待例も実在している。
ごく普通の環境で育った私のような人間とは対称的に、親に捨てられ施設で見知らぬ大人に育てられた人間もいる。
私は、自分が知らないことで無意識に人を傷つけたくないと思っている。
中村さんが書いているような暗い内容の小説は、自分の身の回りになかったものを体験させてくれる。また、暗い世界の中での明るい出来事や、些細な幸せなど、幸せな人間には分からないような、小さな幸せが描かれている。
本を読もうと思った時は、純文学をおすすめしたい。
大衆文学を読めば、物語に入り込み現実を忘れられる。
純文学を読めば、現実世界を鮮明にし、美しさを与えてくれる。
生きてて楽しい人は、別に読まなくていいと思うが。
進化心理学
昔から進化心理学が好きだった。呼び方が正しいのかは分からないが、簡単に説明すると、『一万年前の人間の特性を現代人に当てはめて考えるもの』だと思っている。なぜ、一万年前なのかは、人の脳は一万年前から変わっていないとされているからで、具体的には狩猟採集をしていた時から変化していないとされている。
私は理屈的な人間なので、人の行動を見る度に生じる疑問が気になって、気になって仕方がないのである。
進化心理学という学問は、所詮科学なので全てが正しいというわけではなく、新しい説が唱えられれば、更新されていくだろう。
人の脳は中途半端なものを処理できない構造になっているので、正しいとか正しくないとか、そんなものは重要ではない。大切なのはいかに自分を納得させられるか、騙せるかになってくる。
「なんでこんなバカなことをしているのだろう」という疑問は、誰しも勝手に湧き上がるものだと思う。
私は、あまり人を見下したくないので、「バカなことをしている」もっとマシなものに変換したいと常に考えている。
その助けになるのが、進化心理学になってくる。
「毎日3食、食べなさい」
「なんで?」
「食べないと元気でないよ」
(そんなのは、説明じゃない。)
「そもそも、一日3食なんて言い出したのは、エジソンがトースターを売るためだ!! それが日常になっているだけじゃないか!! それに食べなくても元気のいい人間はいるじゃないか……。」
「少食は健康にいいんだって」
「なんで?」
「テレビで専門家が言ってた」
(そんなの説明になってないわ。)
一万年前の人間は、朝ごはんなんて食べていなかった。
朝7時に肉が食べられるなんて、相当腕のいい狩人がいなければできない。朝ごはんを食べずに動けるように設計されていたのではないか?
どうやら、空腹状態になると人間の体は修復状態になるらしい、オートファジーと呼ばれるもので、さらに空腹状態は、集中力が上がり、これは狩りをしていた時に獲物を捕らえるためのものらしい。
長く書いたが、進化心理学の本を少し読むと、一万年前の人間がしていた合理的な行動を知り、人間の内側をある程度論理的に考えることができる。それに加え、進化心理学は人間の基盤のようなものなので、美容や健康にも応用が効き、物事を広範囲に考えることもできる。
つまり、進化心理学を学べば、胡散臭い健康法や、美容法に惑わされずに専門家にいちいち聞かずに、自分で方法を考えることができるということになる。
本を紹介すると、「スマホ脳」「銃・病原菌・鉄」「ホモ・デウス」など、
根拠に興味ないにはつまらないかもしれないが、理屈人間にはたまらないものだと思う。
おすすめの漫画
最近「無職転生」という漫画を読んでいる。岡田先生(岡田斗司夫)が紹介しているアニメだったので、以前アニメで観たことがあった。他にも葬送のフリーレンであったり、バナナフィッシュであったり、岡田先生の紹介する作品は実際に見たりしている。
「無職転生」のあらすじは、30代の無職がトラックに轢かれて異世界に転生するというものになっている。前世の記憶を持っているわけなのだが、「本気で生きてやる」といい、前世ではしなかった努力や勉強しながら成長していくという話になっていく。
この話が他の異世界ものと違う点は、「災害によって家族がバラバラになってしまう」という物語の序盤で起こる設定にある。
バラバラになった家族を探すために旅をし、父と再会したり、師匠との再会、幼馴染との再会、そんな再会のシーンで私の目頭が熱くなってしまう。
主人公が持っている面を登場キャラクターたちが魅力をひきだしていて、キャラ描写もかなり、いい漫画だと思う。
ちなみに私の好きなキャラは、「ザノバ」というキャラで主人公のことを師匠と読んでいるキャラクターである。
主人公は自分の師匠のロキシーをモデルにして作った人形をザノバが市場で見つけ、自分にも教えて欲しいと主人公に弟子入りをする。
漫画よりもアニメの方が肉付けがされている気がしたので、気になった人はアニメの方の視聴を勧めたい。
逆行する男
運転をしていると前を走っている車のナンバーであったり、対向車線を走っている車のドライバー、周辺の店の看板であったり、様々なものが目に入る。事故を起こさぬように集中しなければならないのだが、最低限、注意を払っていれば事故など起こさないし、逆に注意を払っていても、起きる事故は起きてしまう。そして最終的には、やはり最低限の注意さえを払っていればいいのでは、と考え直す。先日、久しぶりの外出で本屋に行った。本多勝一さんの「日本語の作文技術」という本がどうしても読みたかったため探しに行ったのだ。最近、私が見ている小説家Youtuberの「ワカツキヒカル」さんが紹介していて興味が湧いていた本である。
目当ての本を見つけ、本屋に隣接しているカフェで本を読む、正しい文章を教えてくれる本と銘打っているだけあって、かなり分かりやすく身になる本だった。キリのいいところまで本を読み終えると、近くのスーパーで刺身でも買って帰ろうと思い、店を後にした。
いつもと同じく、前の車を見るのに飽き、車間に気をつけながらよそ見をしていた。ふと、横断歩道を歩いている男性に注意が向く、「てねっと?」男性は黒いジャージに身を包み、同じく黒い帽子、そして白いランニングシューズを履いていた。米粒ほどの大きさだった時に見た男性は、普通に歩いているように見えた。しかし、その男性の顔がはっきりと認識できる距離まで近づくと、その男性はなんと、後ろに歩いていたのだ。(私から見た男性は背中をこちらに向け、そして男性は背中側に進んでいた。)久しぶりにいいものを見たと思い、釘付けになっていると、前の車との距離がかなり近いことに気がついた。
「逆行」している男性を見た時、私の頭の中では別の映像が見えていた。別車線の車を含めて、私以外の車が逆行していたら、そんな想像をしていた。きっかけをその男性は作ってくれたのかもしれない。その男性は、もしかしたら「テネット」を観た後で影響されているのかもしれない。その男性は、ドライバーの注意を奪って、事故を誘発しようとしているのかもしれない。そんな数々の想像をし、気がつくと家に着いていた。
魚が焼けるのを待つ間に
祖父の友達は、近くの川で魚を釣ると祖父のところへ魚を持ってくる。
体長は、30cmほどの大きな魚なのだが、祖父はそれを焼き、甘露煮にして、魚を持ってきた人に渡したり、何かのお礼として渡したりする。
昔の人はお礼を大切にしている。
何かをしてもらったら、その縁を切らないように、大切にして、次の機会を設ける。そんな人情味溢れる関係は私は嫌いではない。
祖父が魚を焼くと私に声をかけてくれる。
焼いている以上、誰かに食べてもらえると嬉しいと祖父は言っていた。
串に刺さった魚は、口をぱかぱかと開き、たまに痙攣してみせた。雨が続いたからか、気温は寒く、両手をかざしながら魚が焼けるのを待っていた。次第に魚の表面に浮かび上がった水滴が落ちていき、尾やヒレは黒く、そして水分を失っていく、魚の目は乾ききり皮には薄く焦げが浮かぶ。
一時間ほど経っただろうか。祖父が目を開き、立ち上がる。串を手に持ち魚から串を抜いた。
「串が抜ければ、焼けたんだ。醤油はそこ、皿はそこ、箸は……」
祖父から渡された魚は、大きく重かった。
「焼きたては旨いぞ、ほら」
箸を背骨に刺し、肉を口に入れる。
ほくほくと湯気を上げ、白い身が骨を中心に並んでいた。
「旨い」
「焼きたては、旨いだろ」
私は、紛れもなく命を食べていた。数分前まで生きていた動いていた命を。絶命する瞬間を見ていたから、尚更、特別なものに感じたのかもしれない。
卵を食べ、肉を食べ、皮を食べた。
「ごちそうさまです」
祖父の満足そうな笑みを見て、皿の上の食べ終わった魚を見て、正式な命のやりとりを感じた。
魚は苦しんだかもしれないが、そんなことはどうでもいいのかもしれない。
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