週末の唄 第二十一回 個人的な今週のエッセイ R6.9/1-9/8

お品書き
人を見た目で判断する
私が子供の頃にHUNTER×HUNTERというアニメが放送されていたのは覚えている。
だが、当時の私はゴンという主人公をなぜか嫌っており、観ることができずにいた。嫌いな理由は、今でも分からない。
尖った髪型や緑色の服装が私好みではなかったというつまらない理由から、観ることを拒んでいたのかもしれない。
当時の私は、人を嫌いなってはいけないという考えに縛られていた。
人を嫌いになるのは、おかしい。
誰であれ、人を好きにならなくてはいけない。
そんな考えが根底にあったのは、幼稚園や家庭で大人たちが口うるさく言っていたからだろう。
非現実的な言葉が降ってきても傘をさせないのが子供だ。
友達を100人作る、誰とでも仲良くする。
誰とでも仲良くできないことを知っていながらも、一緒に遊ぼうとする。そんな中で感じる嫌悪感を異常なものだと感じていた。
そんな考えがあり、ゴンという主人公に好感が持てずに作品を観る機会を失ってしまった。
外見で人を判断した、そんなところだと思う。
今になって、視聴してみようという気になったのは、好奇心からだった。なぜ、ゴンに嫌いだという印象を持ってしまったのか、それが気になったということもある。
そして、実際に視聴してみると、普通に面白いと感じていたのだが、話数が進むにつれ、めちゃくちゃ面白いと感じるようになっていた。
今まで、観なかったことを少しだけ後悔した。
子供の純粋さには、残酷さが隠れているのだ。
外見で人を判断するというのは、それが悪いことであると気付くまで続いた。
身体に欠損がある人を見ておかしいと感じたり、身につけているものが汚い人たちを見て、それがおかしいと思った。
「あの人、手がない」「あの人、汚い」
嘘をつくことは許されないと飲み込まされて育てられた子供だからこそ、口にすることで言われたことを守っているという気持ちに満たされていた。
考え方に縛られて、身動きが取れなかったのが私だ。
今思うと、潔癖症のようなものを昔から持っていたのかもしれない。
言われたことは守る、やるなと言われたことはやらない。
それ以外が考えられなかった。
言われた以外のことをやったり、言われたことをやらなければ怒られる。
怒られることは、悪いこと。
だから、怒られないようにする。
その論理的な鎖を断つには、自分に鎖をつけた大人たちが間違っていることを知らなくてはならない。
鎖に矛盾が生じれば、その鎖に効果は無くなるからだ。
そして、その時が来た。
私に自我が芽生えた時、物事の善悪を自分の視点で考えることに酷くこだわるようになった。
おかしいと思うことを排除するセンサーが身につくのだ。
それによって、次第に鎖は外れていくはずだったのだが、より強固になるものもあった。
大人に反抗することで、正しいことを間違っていることを自分で判断していた。
絶対だと思っていた大人が、間違っていた時は、とても強烈な違和感を感じていたと思う。
今までの物事は、すべて間違っているという可能性が見つかったからだ。
私は極端な性格だったので、相手が正しいと思えなくなっていった。
人を見た目で判断してはいけないというのも、自分が納得できる理由がなくてはならない。
自分がやってきたことが間違っていたと感じ、今まで、自分の口から出たであろう、人を傷つける言葉は、すべて間違っていたということになる。
価値観が変わるというのは、そういった自分の否定と自分を許すという二つの壁にぶつからなければならないのだ。
そんな壁を壊すのに役立つのが本なのだと思う。
自分の核のような性格が間違っていた時にそれを否定するのには、覚悟が必要になる。
だが、自分のためではなくて、誰かを傷つけないためと思えば、それは安い代償なのかもしれない。
私は、強迫されていることに気が付かぬまま成長していたのだと思う。
その違和感が、最近になってやっと分かってきた。
自分が何に縛られているのか、何に嫌悪しているのかを知ることは、自由になるための一歩だと思う。
自由になるために人は、学ぶのだと思う。
餌の関係
警戒心の強いうさぎは、慣れないと膝の上には乗ってこない。
大嫌いな爪切りの後であれば、警戒してしまうため抱っこをすることすら難しくなってしまう。
だが、動物というのは餌を見せれば飛びついてくる。
心拍数が上昇し、呼吸が荒くなり、命の危機に面したような反応をしたかと思えば、餌を見るなり、先ほどまでの態度とは別の顔を見せる。
食欲というのは、恐怖よりもはるかに強いのだろうと思った。
そして、餌を上手く使うことができれば、一流の爪切りマスターになれるということでもある。
嫌がることをして、代わりにその対価を渡すというのは、労働と似ていると感じた。
働くことにはいい印象を持っているが、働かされるのは、別である。
何か目的があって働くのであればいいが、お金を稼ぐことだけが目的なら気持ちが入らないだろう。
ボーナスについての面白い話がある。
仕事で発生するボーナスの受け取り方というのは、全員のモチベーションにつながるわけではないという話だ。
お金を稼ぐ目的で仕事をしている人には、ボーナスの増額はモチベーションになるが、やりがいを感じて仕事をしている人にとってボーナスの増額というのは、もちーベーションの低下につながる。
自分が価値を感じて行っている行為に値段がついてしまうと、評価が関係する行為以外を行わなくなるのだ。
話はそれてしまったが、餌とペットとの関係というのは、そういった労働環境に似たものを感じた。
だが、別の関係性もある。
うさぎの頭を撫でると、指をぺろぺろと舐めてくれる。
これは、お返しを行っているという一つの形のような気がする。
餌を与えて嫌なお願いを聞いてもらうという関係のあり方と、撫でて舐められるというウィンウィンな関係、動物と人間の言葉が通じない中で、そういったものが発生している。
言葉は通じなくても、意味は分かっている。
そういった優しさでやり取りされるような社会になればと願っている。
コナダニ3
コナダニのことについて、書くことが3回目なのかどうかは分からないが、一つ言えることは、奴らは手強いということだ。
ダニよけのスプレーを買い一安心かと思えば、スプレーには、ダニが集まる次第であり、ハッカも効かない。
ダニが床を歩いているのが気持ち悪いので、掃除機を毎日かけるようになったのはいいことかもしれないが、掃除機本体についている虫の気持ち悪さには、まだ慣れていない。
だが、ようやく解決法が見つかった。
部屋の扉や窓を完全に解放すると、ダニの数が圧倒的に減ったような気がしたのだ。
乾燥に弱い虫だからなのだと思うが、視界に入らないだけでも十分だった。
そして、コナダニを調べるうちに面白いものを見つけた。
それは、チーズコナダニという虫である。
ヨーロッパで作られているチーズの製法であり、私はダニへの気持ち悪さが少しだけおさまったような気がした。
人間に活用されているダニもいる。
チーズの発酵にダニを使うなんて考えられないと思っていたが、今、それが受け入れられているというのは、評価がされているからだと思う。
ドイツのミンベンケーゼやフランスのミモレットというチーズはそうやって作られているらしい。
何かに活用できれば気持ちが楽になるのだが、ダニの知識を学ばなければ、生み出すことはできない。
活用するものがあって、生きるのだと思う。
食べる
私は、食べることをただの栄養補給だと考えている時があった。
だから、わざわざ不健康なものを取り込むことを嫌い、高い食べ物を食べる意味も分からずにいた。
だが、食べるということには、目的があることに気がついた。
目的があるのであれば、食べ物に求めるものも違ってくる。
食べ物を味わうのであれば、少量でもいい。
少ないもので様々な味に分けることで楽しみがある。
腹を膨らませるのであれば、安い方がいい。
たくさん食べるのであれば、値段と量。
栄養を取りたいのであれば、サプリでいい。
栄養を摂るのであれば、どんな味でもあまり関係がない。
極端に分けるとこんな感じになる。
そして、これらの考えを混合しているような気がした。
美味しそうな食べ物を高いと思い。
栄養価がある食べ物に味を求め。
量が多い食べ物は、値段を気にする。
自分が求めているものを満たしている食べ物があればいいのだが、都合のいい食べ物は、なかなか見つからない。
条件を絞れば、目的に合った食べ物が見つかる。
大食いであれば、そもそも不健康なので栄養価を気にする必要がなくなる、よって好みの味で安いものを摂る方が効率がいいだろう。
時間を短縮したいのであれば、ウイダーのようなものだったり、場所をえらばずに食べることのできるコンビニのおにぎりが丁度いい。
食べることにあまり関心がないからこそ、値段や味、栄養を分けて考えてみた。
何を食べようと自由だが、肌を綺麗にしたいとか、筋肉をつけたいとか、何かの目的と組み合わせれば、自分に合ったものが見つかるのだから考えるに越したことはないと思う。
起き上がれない虫
バランスを崩して、ひっくり返った虫は床材にエンジェルの模様をつけると、やがて息絶える。
ほとんど、何もしなくても勝手に成長するはずの虫だが、個体数が減っているような気がしたので、箱の中を見ていた。
床材自体が餌であり、ほとんど水分は摂らなくてもいいはずなのになぜ死ぬのか。
寿命かとも思ったが、それにしては周期が短すぎる。
直射日光に当てると死ぬことは、分かったため温度管理には、気を使っていた。
であれば、ひっくり返ることで起き上がれずに死んだのだろうか。
なぜ、起き上がることができるような設計にしなかったのかが疑問だったが、中には助け合いを行う個体もいるのでそういった個体同士の優しさが優先されたのかもしれない。
虫が隠れることができるように紙の仕切りを置いたり、プラスティックを置いたりして、オブジェにしていたのだが、それがひっくり返る原因にもなりかねないと思いすぐに取り除いた。
また、虫たちがひっくり返った時にすぐに起き上がれるように破片を散らばらせることにした。
人生で転ぶというのは、生きていればあるかもしれない。
人間はやり直せるが、虫からすれば絶体絶命だ。
だが、転ぶのが怖くて、動くことをやめる虫を見たことがない。
彼らは、しきりに動き回り箱の中で生きている。
やべえチーズ
チーズコナダニのことを知った時に十分やばいと思ったが、ヨーロッパではそれが普通なのかもしれないと思い。
食べてみたいなと感じた。
だが、やばいチーズを知った。
『カース・マルツゥ』というチーズだ。
作り方は簡単で、チーズにハエが卵を生み蛆虫を使って作るらしい。
チーズの中には、紐状の蛆がくにゃり、くにゃりと蠢いており、かなりグロテスクなものだった。
衛生的な観点から輸入することはできず、現地で譲り受けるか、闇市で買うしか入手手段がないというのが、ヤバさを物語っている。
私は、チーズがそもそも好きではないのだが、やばいものには少しだけ興味が湧いた。
人差し指につけて舐めるくらいならできるかもしれない。
虫を食べ物に使っているというのは、私の知らない世界だったが、他の生き物に協力してもらい、一つの作品を作っているということに面白さを感じた。
終わりに
台風が上陸しているが、鳴り響く雷によって、私の気分は高揚している。
夏の醍醐味がこの大雨と雷だと思う。
雷が近くに落ちるところも見たことがないため、見てみたいと感じる今日この頃。
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