相手の話し声が、ただ、頭の中を流れていくだけ。

私の脳内

こんにちはゆうらいふです!

人の話を聞いている時に私が、考えていることを書いていきたい!

 

この記事では、日常生活で経験した会話についてのことを私の視点で考えていきたいと思います。

 

 

楽しい会話と無言が怖い会話

 

人と、話している時に疲れることはありませんか?

私は、かなりをそれを感じます。

聞きたくもない、愚痴や、自慢話。

 

人って、無言が耐えれらない生き物だと思います。

ある程度の信頼関係があれば、無言になっても気になりませんがそうでないと、無理に会話を途切れさせないことを気遣い、無理に笑っている。

なんてことが、実際にあると思います。

 

私の中での楽しい会話というのは、お互いの共通の趣味を交互にぶつけ合うというものです。

会話が一方的になっていることがないように、相手も自分も楽しめるような会話をすることが理想だと思っています。

 

無言が耐えられない関係というのではなくて、さりげない日常の会話でお互いが笑顔になる関係というのが望ましいですね。

笑顔というのは、がん細胞を除去するキラーT細胞を活性化させるともいいます。

 

コミュニケーションでネガティブな気持ちになるのはもったいないですね。

 

 

会話が下手な人

 

私の中で、会話の基本というのはお互いがバランスよく会話に参加をするものです。

一方的に話していることに気が付かない人というのも一定数います。

 

会話が好きなのか、説明が好きなのか、それとも話を聞いてくれる人を望んでいるのか?

会話の内容に限らず、私はそういったことを考えるようにしています。

自分は会話をしたくなくても、相手がしたのであれば聞いてあげるということで、少しでも相手のストレスを改善することができるのであれば喜んで時間を使います。

 

会話相手に付き合うことで、奢ってもらうとか、評価を上げるとかを考えているわけではありません。

ただ、相手の話を聞いてあげるそれだけで相手からストレスが抜けていくのであれば幸いです。

 

 

動画広告

 

人の話を聞く理由は、自分の考えの及ばないところで何かいい方向に動いているのではないかという希望をかけているからかもしれません。

家では、奥さんや子供に話を聞いてもらえていないのではないか

学校で、一人でいることが辛いのではないか

 

そういう想像をしていると、人の話を聞くことの重要性を感じられます。

ですが、聞いている話でも苦痛なものもあります。

 

同じ話を何度もされると、リアクションに困りますし、遠回りに私のことを批判しているような言葉選びをどうやって気付かないふりをするのかを考えることもあります。

皆さんもそういった経験があると思います。

自らが聞き手に回ったのに、相手のストレスがこちらに流れ込んでくるようなイメージです。

 

そんな時に私は、動画広告を頭に思い浮かべます。

 

 

徹底的な聞いているふり

 

動画広告を最後まで見るということは、それで自分が何かしらのメリットを得るからですよね?

ですが、人から害のある話を聞いている時というのは、メリットが全くありません。

ストレスで、肩が重くなったりする可能性もあります。

 

ですが、安心してください。

徹底的な聞いているふりというものを行えば、その状態から抜け出すことができます。

 

相手が、怒っているのであれば、反省しているふり

相手が、悲しんでいるのであれば、同情して慰めるふり

相手が、敵意を向けているのであれば、改善しようとしているふり

 

相手からの感情を読み取り、相手の求める反応を行う必要があります。

 

 

自分を守るための聞き手の考え方

 

なぜ、ふりなのかそれは自分のメンタルを守るためにあります。

もちろん、何度も同じミスをしていてはいけませんし、親友が辛い気持ちになっていれば心から寄り添う必要があります。

敵意を向けられ、反発してしまえばさらに無駄な時間と体力を使うことになります。

 

大切なのは、自分を守るために外側を作るということです。

心から反省をしているのに、笑っている人と

心では笑っていても、表面では反省をしている人がいたとします。

 

内側は誰にも分かりません。

害のある人間に自分の資源を奪われることを防ぐには、ドライになる必要があります。

何を選ぶかは自分ですが、やることが決まっていれば無駄を省こうとすると思います。

 

 

こうなったら

 

これは、私の理想ですがコミュニケーションも市場が存在すると思います。

愚痴を言う人はいなくなった方がいいですが、自分の前にいなければいいというように全ては、消せませんが、部分的に消すことはできます。

それでも、現代は多様性の時代ですよね。

私が思ったのは、愚痴を言う人間と人の愚痴を聞きたい人間が市場で繋がることです。

人の話を聞かないで一方的に話すのが、好きな人がいればその人は動画サイトに一方的に話せばいいと思います。

 

 

別の考え方

 

ある時、思いました。

愚痴が無い世界を思い浮かべた時につまらなくなるのでは無いかと考えました。

映画を見ていると、どん底や盛り上がり、成長など時間で。主人公がピンチになったりします。

こういった波が人生には必要なのでは無いかと考えました。

ドラマを求めると言うのは、脳が暇を嫌うからだそうです。

人生における波については、別の記事で話をします。

 

 

おわりに

 

なんとなく、聞いていいる愚痴が自分に悪い影響を与えていたり、つまらない会話を自分はなぜ、笑いながら聞いているのかということ考えます。

そう言う、気付きから様々な思考が生み出されます。

考えると言うことは、今後AIに置き換えられ、私たちは趣味として考えると言うことをするのだと思います。

アウトプットとして、こう言った記事を書きたいと思いますので、日常の息抜きとして、読んでいただけたら嬉しいです。

 

ここまで、読んでいただきありがとうございます。

また、次の記事でお会いしましょう。

 


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Posted by yuuya yamaguchi