不都合な未来を想像する

私の脳内

カフェでアイスコーヒーのLを頼んだ。品物を御盆にのせ、背中側が壁になるような席を探す。私は窓際の席に座ることにした。右端と左端にはそれぞれ人が座っていたので、左の人の席から一つ飛ばした席に座ることにした。テーブルに御盆を置くとき、不安定なグラスは小さく傾いた。水滴がグラスを伝い、ナプキンを濡らした。私はグラスに浮き上がる水滴をみながら、少しずつ御盆をテーブルの上に置いた。
普段、日常に潜んでいるであろう不安定なものを想像することが好きだった。私は数分前のことを想像した。もしも、さっきコーヒーを落としてしまったら、自分がどんな状況にいたのだろうかというものだ。周りはどんな反応をするだろうか、もしかしたら無関心に本でも読んでいるかもしれない。話好きの二人組は会話を止め、一瞬こちらを見るかもしれない。そういった状況を想像するのは案外、暇つぶしになった。店員はタオルのようなものを手に駆け寄ってくるだろう。私に代わりのコーヒーを用意してくれるかもしれない。顔には心配そうな表情が張り付いているが、その皮の奥には迷惑さと怒りが混在していることだろう。
今、店員はカウンターで番号を読み上げている。3回ほど繰り返し、店員はその度に声を張っている。私はその店員を不憫に思い、品物を受け取りに行こうと思った。だが、5回繰り返した後に遠くから老人が小走り気味に駆け寄ってくるところが見えた。

人生は選択の結果であると、昔、生きていた人が言っている。選択が繰り返されるごとに枝分かれしていき、選択した先の人生は大きく変わっていることだろう。そういった違う世界のあり得たかもしれない自分を想像すると、それが本当に存在しているかのように錯覚してしまう。チェーンソーで怪我をして指を落としてしまった世界線の自分を想像する。そうすると、私は気をつけなければならないと強く思う。指がなくなることに魅力を感じないから、私は怪我をしないように気をつける。だが、私の興味を引く選択も確かに存在する。例えば、目の前の人が実は犯罪者で、急に私に襲いかかってきたら。その時は全力で殴ってやろうという想像だ。可能性としてはあるかもしれないが、ほとんどないに等しいことだろう。私に襲い掛かり、私の首に腕を回すような形になるかもしれない。刃物か何かを持っていれば私の首元にでも突き立てるかもしれない。その時私は、いかにも弱々しい表情で周りの人に助けを求めるだろう。だが、嫌なことをされたならば、全力で対抗するのが、私のやり方だ。私が感じた怒りをそのまま、相手にぶつけることで初めて対等になる。酷い仕打ちをしておいて、ごめんなさいで済ませるというのが昔から嫌いだった。
私が助けを呼んだことで、男は少し動揺するかもしれない。男の力が緩んだ隙に腕をとり、足をかけながら地面に倒れる。私は相手の腕を踏みつけ、ナイフを蹴り飛ばし、そして気が済むまで殴る。
私が殴ると男の口元は切れて血が流れる。男の目はついに私を見ず、どこか空を見上げているような状態になった。男から力が抜け、ぐったりとしている。
そのような想像をしてみると、不思議なことに私がその状況を知っているかのような気がしてくる。

目の前から男が歩いてきた。私はポケットから手を出した。一瞬、男と目が合った気がした。私は、男が手を出す瞬間を今か今かと待ち望んだ。


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Posted by yuuya yamaguchi