安い、美味い

私の脳内

350円のラーメンを食べてきた。麺は、私が好きな手打ち麺ではなかったので、気になったのだが、しょうゆが割といい味をしていて、量もそれなりにあったため、お腹にも溜まった。350円という値段で、そのクオリティなのだから、かなりいいものだと思った。店は私の祖父母と近い年齢の夫婦がやっていた。
この間、宇都宮に行った時に夜食でラーメンを食べた。そのラーメンは1100円もしたし、1800円ほどのメニューもあった。の割に美味いとは言えず、酒飲みが味覚を麻痺させた状態で食べる脂っこいもの、として、私の中認識された。シンプルな醤油ラーメンというのは若者ウケしないのだろうか。スープがいかにも体に悪そうで、脂が漂っていたり、具が皿から溢れたりしているものが、好まれるのだろうか。私も昔食べていたのだが、今では胃もたれが気になってしまう。

安いもの、そして、美味しいものというのは人が求めやすい条件で、その条件というのは他にも当てはまると思った。
例えば、結婚相手について考えると、『綺麗で、性格が良くて、料理好きで、子供好きで、綺麗好きで……』となるかもしれない。しかし、そんな人間を考えた時、そんな人間は存在するはずがない。と、ほとんどの男性は考えると思う。
条件は重なれば重なるほど、掛け算になるわけであるから、確率的にも見つけづらくなるのだ。

私は値段で食べ物を選んだりはしないが、美味しいに越したことはないし、安いに越したことはないと思っている。安いものを買って、美味しかったら嬉しいし、美味しいものが安かったら嬉しい。だが、初めから、安くて美味しいものを求めるのは、なんだか合理的ではないと思った。
なぜなら、先ほど言ったように掛け算になるほど、条件は厳しくなり見つけることが困難になってくるからだ。安い、美味しいというものが麺なのか、ご飯ものなのか、で変わってくるし、家から近いかどうかを考えたり、混んでいるかどうかとも結びついてくる。
安い食べ物を食べるということは、腹を安価なもので満たせばいいというわけであるから、カップ麺を食べればいいと考える人もいるかもしれない。美味しいものを食べるのであれば、カップ麺では物足りないが、量をたくさんというわけではなくて、舌先で料理を楽しむというニュアンスになりそうであるから、腹一杯食べる必要がない。私は極端に物事を考えるから、こうなってしまう。

お腹をいっぱいにすることは、苦しいからあまり好きではない。それに食べ物にそれほど興味があるわけでもない。だが、興味がないから、食に関心がないからと言って毎日カップ麺を食べることもしたくはない。自分で食べたいものを食べるために手間をかけるし、誰かがお勧めすれば、自分で足を運んで食べてみたい。自分がどう感じるのかを確かめたりしたい。

昔、貧しい時代は、生きるために食べていたはずだから、大したことのない味でも、胃に入れば良かったのかもしれない。今のように、ある程度豊かになってしまうと、今度は胃を満たす。という目的ではなくて、美味しいものを食べる。というものに変わり、今度は、ネットに上げるために見た目がいいものを選ぶ、というふうになってしまう。だから、食べ物を残す人もいるだろう。

昔、ご飯を残したら目が悪くなると言われた。私はそう脅され、家でも、店でも、食べ物を残さず食べるように躾けられた。だが、結局私は目が悪くなってしまった。だが、その躾は良かったと思う。食べ物に感謝をしない人間は命を粗末にして、遊んでいるように見える。私がそう見えているということは、私と同じように躾けられた人もそう感じているということだから。

 


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Posted by yuuya yamaguchi