僕らはみんな多様生物

私の脳内

成功者と聞いて私がイメージするのは『運が良かった人たち』だということだ。本人は死ぬほど努力をしてきただろうから、運が良かったと片付けられるのは癪に触るかもしれない。しかし、その成功者たちが努力すればみんな成功できると考えていることに私は違和感を感じた。それは、努力を誰もができるということが前提にあり、成功していないのは努力をしていなかったからだ。と、言い換えることもできてしまうからだ。面白いことにアメリカ人はそのように考えている。だが、ヨーロッパの人たちは少し違う。ヨーロッパの人たちは自分が成功できたのは運が良かったからだと考えるのだ。

結果、科学者は『努力する遺伝子』というものを発見した。つまり、生まれながらにして、努力できる人間なのか、そうでないのかが決まってしまうということになる。その遺伝子が自分に入っているかどうかというのは運で決まるのだから、やはり成功に必要なのは運なのだろうと考えてしまう。

そして、それとは別に『生きづらさを感じる遺伝子』がある一定数の人間には組み込まれているのではないかと考えた。仮にそれがあるとして、その遺伝子を持った人たちが何をしてもいいような精神状態に陥った時に何か問題が起きるのではないかと考えた。
生きづらさを感じたことのない人間には分からないだろうが、これは本当に厄介なものである。他の人が楽しそうにしていることに興味が湧かなかったり、他人と長時間居続けると、窮屈な気持ちになったりする。

男が女の気持ちを分からないように、また、女が男の気持ちを分からないように、生きづらさを感じたことのない人間にその気持ちが理解できるはずがない。理解して欲しいとは思わないが、変わった人もいるんだと放って置いて欲しい。

私はLGBTQや同性愛、人種問題などに興味が湧いている時期があった。それは私が生きづらさを感じていて、それと差別が似たような枠組みに感じたからかもしれない。成功者が生まれながらにして成功者であるように、変人も生まれながらにして変人なのだ。だが、おかしなことに変人であることに少し愛着のようなものが湧いたりする。だって、色々な人がいた方が面白いから。


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Posted by yuuya yamaguchi