第九十二回 個人的な今週のエッセイ R8.01/11-R8.01/18

お品書き
「遮光」
男はタクシーに乗ることにした。そんなに近くでいいのか、と運転手は言い、私はそれで構わないと言った。訝しげな運転手の視線に私は何かを言わなければならないような気がし、目的地の前にある大きな病院で子供が産まれると言った。女の子、来月には産まれます。運転手は、そう、へえ、というだけだった。タクシーから降り、喫茶店へと入った。郁美はすでに来ているようだった。……
的な文章が「遮光」はある。私は中村文則の文書が全体的に好きだった。何かしら、問題を抱え、心に暗い穴が開いているような、そんな主人公が多く、作者の表現力が好みだった。文体のリズムは精錬されて無駄のない、それでいて誰とも似つかないものがあった。
初めて読んだ本は「遮光」だったが、中村文則という人名を私はどこかで見たことがあった。それは後に気づいたのだが「コンビニ人間」の解説がそうだった。私はそれを知った時、運命的なものを感じた。好きな作家の本が、後に好きになる作家へバトンを託しているようだったからだ。
「遮光」という本は、かなり変わっていると私は思ったし、このような本を他にも読みたいと探した。が、「遮光」ほど、主人公の異常さを描いているものは少ない。だから、私のお気に入りの本で今後も定期的に読むのだと思う。まるで処方箋のようなもので、そういったものを私は探している。
「ミッキー17」
ミッキーは借金を返済するため、エクスペンタブル(消耗品)の仕事についた。その仕事は、人体プリンティングにより、死んでも生き返ることができる身体を使い、危険な任務に挑むものだった。文字通り、消耗品の命として扱われているミッキーだが、ある時ミスプリントによって、別の人格の自分がプリンティングされてしまう。二人の同じ人間がいる。これは規約違反にあたった。その状況を打開するために彼らは協力する。
妹に勧められていて、やっと観ることが叶った。アニメの「リゼロ」のようなものを想像していたが、どちらかといえば「亜人」に近いような気がした。ディストピア系のSFは私の好きな部類で、とても面白いものだった。
ブラックコメディのような要素があったので、明るい雰囲気で観ることができ、テンポよく物語が進んでいく。最近読んだ「わたしを離さないで」もディストピアものなのだが、それとは違う面白さを味わうことができた。
ディストピア
ディストピアものを簡単に説明すると、ユートピア(理想郷)の対義語のようなもので、管理社会を表したものになっている。
カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」はクローンとして臓器提供のために作られた人間を軸として物語が進む。
私の好きな映画の「ロブスター」も似ていて、独身者を許さない社会、が登場する。
村田沙耶香の「消滅世界」では、人工子宮というもので男性でも女性でも子供を産むことができる社会が登場する。
ディストピア小説は近未来が描かれるのだが、最近の生成 AI なんかの話を聞くと、足を踏み込んでいるように感じることがある。
人は暇を潰すために友人を作ると思うが、お一人様用のサービスが発達し、段々と個が尊重されていくような社会になっていると思うし、AI が進化すれば少子化はますます進むだろうと、最近のニュースを見ていると感じることがある。
人同士の交わりというのが、生殖というものだけを指すようになるのも時間の問題だろうと、私は思う。
歪な美
美しさが造形される。
ミケランジェロのダビデ像のようなものが、今では簡単に作ることができる。AI などを使えば、恐らく簡単に時間をかけずに作ることができる。私はそれを考えた時に人間の美しさというよりかは、歪さに目が向いた。完璧を創造することができるのであれば、完璧は一般的な概念になるだろうから、誰も想像しないもの、極端な例を挙げると、奇形のようなものが、より人間らしさを際立たせるような気がした。
まずい食事や失敗した料理が淘汰されていくと思うと、途端にそれらを愛おしく感じてしまうのではないかと思った。料理は作るほどに上手くなるが、最初期の独創性や不器用さは段々と消えていくため、上手くなるほどにそれらから離れていってしまう。命を産み出すように料理を生み出すとして、その料理は均一化されてつまらないものになると思った。
私の母は、分量を計って料理しない。よって、美味しいものをその次作るときに作れるとは限らない。そのサイコロを振るような食事は、楽しさを感じることができる。苦味というのも味覚であるから、私はそういった香りを堪能したいと思っている。
歪さこそが美しさなのではないかと、人間らしさなのではと思う。
TAS
昔の Wii パーティーの動画を視聴したりする。私はRTAと呼ばれる、ゲームの最速クリアタイムを目指すものであったり、TASと呼ばれる、ゲームの無駄を極限まで減らしたプレイ動画を見ることを好んでいる。無駄な動きを減らし、そのゲームを全く別のものへ昇華するような様子が、とても気持ちがいいのだ。今回はTASの仕組みを知り面白いと思ったことを書いてみたい。
TASさんと呼ばれる愛称がある。TASさんの休日と呼ばれる Wii スポーツなどのプレイ動画がYouTubeに上げられており、その正確な操作にとても驚いたことを覚えている。
その仕組みはとても面白いものだった。
ゲームではフレームレートというものがあり、そのコンマ何秒のうちの操作によってキャラクターが動作するのだが、TASではそのフレームを一つずつ管理するように動かせるそうだ。つまり、スローモーションで操作したものを通常の速度で再生し、結果ミスのない正確な操作をすることができるということになる。
そして、ゲームには乱数というものがあるのだが、TAS では、そのランダム性を打ち消すことができるという。ゲームを好きな場所でセーブし、ミスするたびに戻し、ランダム性が求められる場所では何回、何百回と、目的のものが出るまで乱数を調整する。それによって、まるで一度でレアを引き当てるというようなものを作り上げることができる。
TASさんの動画を見てみると分かるのだが、人間には無理であろう動作を平然と行っている。しかし、それは人間が操作しなければ成り立たないもので、一つのプレイ動画の背景には作成者の努力が滲んでいるのだから面白い。
ザッザッザッ
ザッザッザッという、つま先で地面を掘るようにして歩くのは祖母の特徴だった。自然と靴のつま先にあるスポンジは擦れ、ほとんどなくなっている。きっと靴下の先端も布が擦れて薄くなっているのだろうと思った。数年前から祖母の背骨はSの字に変形し、歳を重ねる祖母を見るとその奇妙に変形した身体が痛々しく思えた。祖母は両の足の親指が内側に傾き、重い外反母趾の症状があった。扁平足のように足の内側に体重を乗せて歩くと、外反母趾になりやすいという。私は祖母に靴でも買ってあげようかと思った。祖母は踵を潰して歩くから、手を使わずに靴が履けるものにしようかと思った。
歳を重ねるごとに歪みが発生するというのは、初め、時間の経過というか、老化というか、恐怖のようなものを感じた。聴覚や視覚は回復せず、傷というのも消えることはなく残ってしまう。抗うことのできないものに恐怖を感じる。だが、私はそれこそが生きることなのではと、最近思うようになった。歪みのない人間はいないし、不自由になっていくというのは胸を張れることなのではないかと思った。
もしかしたら人間が200歳まで生きる時代も来るかもしれない。
それもいいかもしれないが、私は普通でいい。
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