第八十二回 個人的な今週のエッセイ R7.11/02-R7.11/09

ブログ活動

 

 

お品書き

 

優待券の旅

 叔父にJRの優待券を貰った。その優待券は利用する区間を4割引きしてくれるものなので遠いところへ行った方が得をする。そしてその優待券は東日本限定らしいから、私は青森の方へ一人旅に行こうかと考えている。

 考えているだけで優待券をもらってから1週間、私は実際にどこへ行くのか、何をしたいのか、何泊するのかを全く見積もっていない。まだいいかと思っていて、このままいけば使用期限が切れるギリギリになるかもと思った。
 優待券は来年の6月末まで使えるというので来年の春に行くというのがいいと思うのだが、決め方が難しい。

 とりあえず、雑に予定を決めようと思う。
 まず私は温泉に行きたいと考えている。東北の方の温泉。新幹線の旅は長いだろうから本を何冊か持っていき、読み終わってしまったらどこかの書店に入ろうかと思う。旅館の温泉もいいし、そこに泊まりながら日帰りの温泉に入りに行くのもいい。温泉街のような場所があれば最高でそこで食べ物を食べたり雑貨のようなものをみたりするのもいい。

 私の希望をこうやって書いていくと、新幹線で本を読んで、温泉街を見つける。という2つのことしか思い浮かばない。一人旅だから気楽でいいが、そうすると自分の色が強くなってしまう。誰か人が決めたものを半分取り入れれば意外な体験ができるかもしれないが、私一人だと一直線の旅になる。

 まあ、それも面白そうだからいいかもしれない。
 とりあえず、少し決まったからよかった。これからは具体的な温泉や旅館を考えていかないと、予約もあるだろうから早めに。

 

 

日常が踊る

 川を綺麗にしたいという思いが5割、川が汚いという思いが4割、川の泥をショベルを使って流すのが楽しいという思いが1割。
 前々から川が汚いと思っており、私はそれを何とかしたいと思っていた。祖父に聞くと雨が降れば流れていく、やらなくてもいい。と言っていた。確かに川に泥が溜まっていても問題はないし、草が生えていて見栄えは悪いがそれだけだった。私は汚い川が気に食わなかったのだと思う。放っておいても問題はないし、綺麗にしたところで特にメリットも浮かばない。だが私は汚いものが嫌いだった。日常に余裕があるのなら身の回りを綺麗なものを固めたいと思い、だから私はショベルを握ることにした。少しずつやっていけばいつか終わるだろうと思った。

 私は川の泥を掬っている時に楽しさのようなものを感じていた。ショベルで泥を掬い川に流していく、流した泥は下へ流れていき、崩れが崖にそれを埋めていく。シンプルな動作を繰り返して、作品を作るようなイメージだからかもしれない。

「あなたは何をしていますか?」
「私は泥を救っています」
「私は川を綺麗にしています」
「私はいずれ川の泥、砂、石を無くし、綺麗な用水路を作っています」

 3人のレンガ職人のようなことを頭に浮かべながら作業をしていた。作業をしている時というのは集中していて、リラックスしていて、だから考えが色々と浮かぶし、とても楽しかった。私はシンプルなことが好きなのかもしれない。読書もシンプルに気に入った作家の本を読んでいき、映画も同様、筋トレは自重をひたすら続けて辛いという気持ちよりも回数や時間に従う。

 同じことを続けることが好きな私にとって川掃除は新しい趣味のようなものかもしれない。

 

 

感じること少ない感情

 あまり感じない感情が湧くとそれを払いたくなる。感情は人間が人生で出会う創作物のようなもので、特定に場面でしか味わうことができないから貴重なものだと思う。だが、気持ち悪い感情や慣れない感情に出会うとそれを避けたいと思うことがある。もしかしたら向き合って味わうというのが芸術家なのかもしれないが、どうしても耐えられないものを楽しむことは難しい。
 人生の目的を様々な感情を味わうというようにすると、学びが増えると思い私はそうした。嫌なことがあっても、いいことがあっても、一喜一憂しなければ自分を平静に保つことができるし、楽しさ以上の辛さを感じずに済む。それは自分を強制するためのまじないのようなものなのかもしれない。

 

 

なんで運動するの?

 私は筋肉を付けたくて筋トレをしているわけではなくて、体が悪い年寄りには絶対になりたくないから運動をしている。楽しいと思うときもあるが、必要だからやっているわけで、だから嫌だからやらないとか、今日はやらないと思うことが全くない。気持ちではなくて、ルールを作ってそれに従っているだけだから、辛いと感じたりしない。
 私が本を読むのも、物語が好きだからとかではなくて、それが私に必要だから読んでいる。解釈の方法が欲しくて、考え方の柔軟性を鍛えるために読んでいる。

 私の行動が好きとは関係のないもので動いているのに、他の人はその行動を好きだからやっていると解釈するかもしれない。
「なんで運動するの?」と言われて、筋トレが好きだから、運動が好きだからと答えるのが普通だろうが、私の場合はそれが得だからで終わってしまう。

 運動をすると認知症の予防にもなるということをほとんどの人が知らないのではないかと思う。運動が脳と密接に関わっているなんて想像もできない。健康になるための方程式も実にシンプルなのにそれを過大評価した人たちが詐欺商品のようなものに金を払う。1000円ほどの本で一生分の知識が身に付くというのにそれが割高だと思っていないだろうか?

 私は色々なことを考える。そしていつも人は面倒くさがりで、人の脳が面倒くさがりでカロリー消費を抑えるために考えることをやめるという結論に至る。だから根拠のないものを信じるのだと思い、カロリー消費を抑えると脳が完全に働かなくなり、それでは退化してしまうから答えの出ない悩みを使って無駄なエネルギーを消費し続けると思う。だから、私は悩んだりしない。それが無駄なことだと知っているから。どうせなら有効に資源を使いたいから。と、私の行き場のない言葉を発散する。

 

 


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