第七十八回 個人的な今週のエッセイ R7.10/05-R7.10/12

お品書き
北海道旅行
北海道に行ってきた。スープカレーを食べ、海鮮を食べ、行ったことがない場所に足を運んだ。知り合いと会って会話をし、とても充実な時間を過ごすことができた。
北海道に住んでいたときは近くの本屋や温泉で過ごすことが多く、旅行に行くことがあまりなかった。だから、今回の北海道旅行の方が北海道を満喫しているような気がしたし、北海道に住んでいると逆に旅行をするという考えにはならないことに気がついた。
スープカレーを食べて満足し、寿司も美味しかった。次は北海道のどこに行こうかと思った。
私は今回、北海道の行きたい場所がなかった。だが、知人と顔を合わせてとても充実した北海道旅行になったと思う。人と会うのは、どこかで飯を食べることや、旅行に行くことよりも価値が高いと思うから。また、来年にでもあいに行こうかと思った。
in小樽
昔、小樽に行ったときは夜景をメインとしていたため、小樽の他の観光名所については全く考えていなかった。だから、小樽運河を見たときにあまりいいものだとは思わず、小樽はがっかりとした印象が残っていた。だから今回の小樽旅行は私が思っていた以上に発見があり、考えさせられることもあった。
まず始めに行ったのは小樽の市場だった。三角市場という場所でそこで海鮮丼を食べた。市場で試食をし、家へ買っていくお土産を何にしようかと考えていた。私はカニを食べることができないのだが、そこで売られているカニはとても大きくて、生きのいい個体が多かったと思う。写真を撮ったり、そのカニの大きさに驚きながら、市場を歩いていた。市場は中国人が多かった。というか、旅行客のほとんどは中国人だったと思う。そこでのりの佃煮やイカの塩辛を買っていくことにした。
その後に足を運んだのは小樽で美術館が密集しているエリアの「ステンドガラス美術館」という場所だった。そこでステンドガラスの説明を読み、ステンドガラスを見て、気になるものは写真を撮ったりした。2階にあるカフェで夕暮れまでの時間をどう過ごすかを考えていた。
どうやら小樽は硝子が有名らしい。だから硝子細工の店が商店街にはあり、その店をひとつずつ見ていくことにした。
硝子のブックマークや、前から探していたロックグラスを商店街で買った。その商店街の終わりでルタオのチョコレートを買い、早めの夜ご飯を探した。寿司を食べ終えたときには外は暗くなっており、そこから小樽運河の方へと歩いて行った。
小樽運河を見て、天狗山から夜景を見ているときに私は小樽は案外いいところだと思った。小樽運河以外の印象が薄く、他に何もない場所だと思っていたから、今回の旅行でその価値観がひっくり返ったのかもしれない。だから、今度旅行するときにはあまり自分の価値観を信じない方がいいと感じた。その場所で有名なものを調べて、それに関連する場所を順に回るというのもいいと思った。
正解はカニでした。
家にどんなお土産を買って行こうと思った。マルセイのバターサンドは私も好きなので決まっているが、他にどんなものを買っていけばいいのかがよく分からなかった。とりあえず白い恋人とバターサンドを買い、だが何かが足りないような気がして、他に何を買おうかと考えていた。だから、旅行中に気になったものを買って行こうと思った。
千歳にある毛ガニ店で毛ガニを家に配送したのだが、それは後になって正解だったことを知った。私はカニを食べることができないので家族がカニを見ているところを見ていたのだが、家族はカニに夢中だった。普段ならいくつかの言葉が行き交うのだが、無言でそれは続き、カニが空になって初めてひとりが口を開いた。
カニは高級食材で普段は滅多に食べることができない。だから、北海道のお土産はカニであったり、何か魚であったりはお土産としてはかなり優秀な部類に入る。今まではお菓子を買っていくのが普通だと思っていたが、むしろお菓子の方はあまりいらないのではないかとも思った。
無痛出産
無痛出産の話を聞いたときにあることが頭に浮かんだ。それは母親の愛は出産時の痛みとも関係しているのではないかというものだ。男の私には一生、分かりようもないことだが、苦労して産んだ。つまり、嫌な思いをして産んだ。ということがその答えである我が子を持つということと関係していないと考える方が難しかった。出産に痛みは当然だと思っていたため、その固定概念が揺らいだことで多くの考えが刺激される。
子供を産むことを諦めている女性の中には出産時の痛みが怖いという人が少なからずいるのでははないかと私は考えた。その人たちにとっては希望の医療技術になるため、もしかしたら出産を考える人が増えるかもしれないとも思う。だが、私は必要な痛みもあると思ってしまう。その中で大きいのが出産時の痛みで、他にも心の痛みである失恋や、大切な人を失う悲しみなど、それらの経験も同じようなもので、だが、それこそが人生を表していると言えるような大切な痛みなのではと私は思っている。
もしかしたら、今回の無痛出産のように人生のイベントで起こる痛みを減少させるものがこれから生まれるとしたら、と思うと少し恐怖を感じる。怖いものから逃げる。でもそれに立ち向かおうとする葛藤があって、私はどう考えても、その葛藤に打ち勝つ勇気が必要だと考えている。
無痛出産によって子が産まれても母親の愛に変化はないかもしれないし、どう変化があるのかなどは分からない。これは私の感覚で、だからこそ、その変化に興味が湧く。人の微々たる心理がどう働くのか、それに興味が湧いている。
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