第五十四回 個人的な今週のエッセイ R7.04/20-R7.04/27

お品書き
夜更かしうさぎ
眠れない夜にはけそポテトを観ることにしている。私が好きなゲーム実況者だ。出会ってから、もう5年以上は経っているかもしれない。あらかた見尽くしてしまったチャンネルだが、過去の再生リストを一通り見渡し、その中からそのときの気分に合ったものを選んで再生する。その中で最近見ているものが、『スーパーバニーマン』のゲーム実況動画になる。うさぎを操作し、ステージをクリアしていくといったゲームなのだが、とてもシュールで、二人が楽しそうにしている姿が、とても心地いい。そして私は眠くなる。
だが、問題もあった。このバニーマンの実況動画は思った以上に面白いのだ。気が付くと、夜中の1時に差し掛かっていた。「次の日にやることがあるのに、こんな時間になってしまった。くそう、面白い動画を作りやがって」と、心の中で叫び、携帯をテーブルの上に置く。目を瞑り呼吸を整えていると、尿意を感じた。このまま布団の中にいても、尿意が邪魔で寝ることはできないだろう。仕方なく、部屋から出てトイレへ向かった。
トイレから戻り部屋の扉を開け、一歩足を踏み出すと足先に柔らかい感触があった。床に手をやると、どうやらうちにバニーマンが起きていたようだ。布団の方へ進むと、飛び跳ねながらついてくるうさぎ、暗闇でも喜んでいるのが分かる。どうして、そんなに感情表現が豊かなんですか。と、いつも感じる。
私の家にいるうさぎはとても賢く、電気を消すとすぐに静かになってくれる。私が寝たことを知り、ちょっかいをかけても無駄だと考えているのかもしれない。だが、私が起きていることを確認すると、撫でろとばかりにくっついてくる。けそポテトの動画を観ていると、スンスンといううさぎの声が近付き鼻をすり寄せてくる。私が寝たふりをしても、布団から漏れる光はうさぎにはお見通しなようだ。
枕元に体を丸め、私が撫でるのを待っている。ふわふわが指先に触れ、頭を丁寧に撫でていく。小さいな、毛が柔らかいな、かわいいな。そんなことが頭の中で勝手に流れていき、やがて瞼が重くなる。
うさぎに触れていると、終わりがくることを考えてしまう。数年先なのか、それよりももっと先なのかは分からないが、いつか来るお別れが頭をよぎる。それまで、できるだけ一緒にいてあげたい。できるだけ撫でてあげたい。と考える自分と、他にやらなければならないとうさぎに構ってられない自分がいる。
終わりがあるから、愛が生まれるのかもしれない。
ただ、可愛いと思っていたものが、変化していき、もっと重たい、暗いものになっていく。
私はそれが怖い。
目覚まし
『ジ、ジリリリリリリ……』
決められた時間に大きな音を出すそれは、平日の朝を憂鬱なものにしてくれる。音が鳴るよう設定をしたのは私であるし、それがなければ起きることができない。現に何度も遅刻をした私に、それを問題視した上司がこれをよこした。
何度も遅刻をする私に呆れた上司は、「これで、安心だな」と箱の中から、赤い目覚まし時計を取り出す。試しに鳴らすと、職場の人間の視線がいっぺんに時計に集まった。その小さな体からは想像できないほど大きな音は、目の前で笑う上司の声を掻き消すほどのものだった。
閉じかけた瞼は二度目の眠りの準備に入る。布団の外では忌々しい音が鳴っている。布団に光が入らないよう慎重に右手を出し、周囲を順に探っていく。このまま目覚ましを放っておこうとも考えた。布団の中は音が少しだけ鈍って聞こえる。これなら十分に眠ることができるだろう。眠りに入ろうとすると、壁を叩く音が聞こえた。
隣人が小言を言ってきたことがあった。「二度目はないぞ」とも言っていた。男が玄関から乗り込んでくれば、確実に目が覚めてしまう。それに、遅刻もするかもしれない。仕方なく布団から頭を出すことにした。
時計は1メートルほど離れた台の上に乗っていた。激しい音を立て振動し、台の上を円をかくように動いている。昨日の私はこうやって私を起こそうと策略を立てていたのかもしれない。
この憂鬱な朝がいつか終わればいいと思っていた。目覚まし時計はいつ壊れるのだろうか。壊れれば、私はまた遅刻をするだろう、そうすれば新しいものを渡されるかもしれない。次は、今以上にうるさいものを渡す上司の顔が浮かんだ。
私は憂鬱な朝が少しでも早く終わることを願って、ボタンを押した。
少しずつ時計が壊れていくことを願って少し強めに。
漂流
水の上を何も考えずに漂っていたいと思った。
いかだでも、葉っぱでも、流木でも、何も考えずに。
流れているものであればなんでもいい。川の流れに浮かぶ枯葉は何も考えずに流されどこかへ下っていく。水溜まりに浮かんだ桜の花びらは何も考えずに地面にこびりつき、水溜りから溢れた新たな流れによってどこかへ下っていく。
羨ましいと思った。
行きたいところへなら、どこへでも行くことができるはずの足は、今では何の役にも立たない。細々とした上半身すら支えられない二本の棒は、ただついているだけの細胞の集まりだった。
車椅子を少しずつ動かし、外の景色を目に入れる。雨が降っているはずだった。私の好きな雨が私を呼んでいる気がした。
軒下から見える雨は風景に白い線を作り、それは屋根に当たればポツポツと音を作った。植物に降れば命を育て、枯れた細胞が潤っていく。
雨がアスファルトの上に溜まると、やがて溢れ、流れができる。その流れは私の知らない場所、どこか遠くへと消えていく。
消えてしまいたいとも思った。だが、そんな勇気はもち合わせていなかった。余計なことを考えたくないのに、心が沈むものがふつふつと湧いてくる。
自分が小さく感じ、苦痛はいつまでも終わらないと何度も思った。救われないのだと何度も思った。
何も考えたくなかった。
私は目を瞑った。両足が水に浸かり、体が浮き上がった。空には眩しすぎるほどの太陽が出ている。このままどこかへ流れていきたい。どうせ消えることはできないのだから、私の知らない場所へと流れていきたい。
ただ走る
私は焦燥感に襲われている時にそれを「心がざわついている」と呼んでいる。なかなか、寝付けなかったり、作業に身が入らなかったり。
そんな時は大抵、何かをしたいという意欲が消え失せている。普段熱中しているものへの興味がなくなり、考えるための工程に入る。
自分が納得できるものを探すために、文字を書いていき頭の中から言葉を取り出す。言語化とでもいうのだろうか。モヤモヤとしたものに名前がついた時、心のざわめきがどこかへ飛んでいってしまう。それは好きな映画を観た時と似ているのかもしれない。言葉やイメージが止まらなくなり、軽い興奮状態に入る。自分なりの解釈を何とかして、見つけ、安心感に包まれる。やがて、脳はその物事への興味を失い、次へと向かう。
心がざわつき、どうしても答えが出ないというときがある。風呂に入っているときもトイレにいるときも、何を考えればいいのか、どれから考えればいいのか、それらが絡まり、頭に蓄積する。
現実を忘れることができるものに触れていると、自然とその物事を考えずに済む。それでいいのかもしれない。だが、私は考えることが嫌いではなかった。少し調子が悪いだけでなかなか絡まりが解けないだけで。
そんなときには、何も考えずに走るのがいい。
ランニングマシンについた時計は、気が付けば5分を刻み、10分、15分と増えていく。
時間に焦ると、心がざわつく。
何も考えずに、時間を雑に使うと、少しだけ楽になる。
救済
村田沙耶香さんは救われているのだろうか?と考えることがある。
作家に限らず、音楽を作っている人であったり、絵を書いている人にもいえる。小説家は自分が感じる問題や理想を物語に落とし込んでいると感じることがある。文字を書けば、少しはスッキリするかもしれない。痒い場所を掻くように、少しだけスッキリするかもしれない。
だが、それは問題解決にはならないと思う。
虫刺されを解消したいのなら、治るのを待てば痒みも治る。そしてそれよりも、虫を部屋から取り除かなくてはならないのだと思う。
根本的な解決をしなければ、また虫に刺され、また痒くなる。
小説家は誰かを救う解釈を与えている存在ではないかと思う。
誰かはそれに救われるかもしれない。思想を変えてしまえば、問題は楽になるだろう。では作家はどうだろうか。作家は救われているのだろうか。そんなことを考える。
根本的な問題を取り除こうとしてもそれが、できない場合もあるだろう。
あるいは、解決できない状態が心地いいと感じられるときが来るのだろうか。
祖母の背中
祖母の背中は酷く曲がっていた。左肩が大きく下がり、腰の中腹が右に大きく寄っていた。元々曲がっていたのかもしれない。私が気が付かないだけで、元々その形だったのかもしれないとも思った。そして、いろいろな考えが浮かんだ。いつから曲がり始めたのだろう。いつまで曲がるのだろう。逆に曲がれば元に戻るのだろうか。と。
人体というのは実に不思議なものだと感じた。正常な形をしていないものであるのにきちんと機能している。不便ではあるかもしれないが、大きな問題があるわけではない。まるで、古く大きな木が、長い年月をかけ、独特な形状に変化し、生きているように。それは美しさも重なっているのだと思った。
家族を見ていると、10年以上も前の姿と比べ、老いを感じる。
あと何年、言葉を交わすことができるのだろうか。そんなことを考えていると、やはり、未来というものが少し怖い。
終わりは必ず来る。それまでに何ができるのだろうか。
世話になるだけなって、それで終わりなんて、そんな悲しいことはしたくない。
終わりに
月曜だったか、火曜だったか。もしくは水曜だったか。
雨が降ったときがあった。久しぶりの雨で心が弾んだが、それと同時に焦燥感を感じた。好きな雨を前にして、妙な気持ちだった。
私はとりあえず、心を落ち着かせたかった。
瞑想をし、文字を書き、走った。
そこまでしても、心が落ち着かないので私は諦めた。
面白いことに夜に湯船に浸かっているときには元に戻っていた。
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