第七十四回 個人的な今週のエッセイ R7.09/07-R7.09/14

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お品書き

 

今週の映画

土曜日の夜、以前から気になっていたホラー映画を見つけたのでさっそく観てみた。「スケアリー・ストーリーズ」という映画で、この映画を知ったのはYoutubeで動画を見たからだった。その動画はナメクジのような見た目の真っ白な女がどんどん近づいてくるというものでその時のBGMをトーマスの音源にしたら怖くない、という企画動画だった。確かに怖くなかったのだが、その時のキャラクターデザインがかなり強烈で印象に残っていたので、その映画がずっと気になっていた。U-NEXTでその映画を見つけ、無料体験もあと1週間で終わってしまうので迷わず観ることにしたのだった。
ホラー映画を選ぶ時に何か基準を定めているだろうか?
グロテスクな描写や人体破壊描写が入っているものを好む人もいれば、理不尽な超常現象に翻弄される映画を好む人もいると思う。私の中では、何か理屈的な要素が混じり、その結果登場人物たちが不幸な目に遭うといったホラー映画を評価している。例えば「ペット・セメタリー」であれば、亡くなった猫を墓に埋めたところ生き返るという奇跡が起きた。その後、トラックに轢かれて死んでしまった娘を同じように墓に埋め、生き返らせるのだが、猫が凶暴化してしまう。というように物語が進んでいく。人間の優しさと禁忌に手を出してしまうという浅はかさがこの映画では描かれているのだ。逆に私が苦手な映画は日本のホラー映画のようなガチなものである。その点で言えば「スケアリー・ストーリーズ」は程よい怖さだったと思う。

 あらすじ
 ハロウィンの夜、友人たちと町外れの幽霊屋敷へ向かうことになったステラ、そこで見つけた地下室で怖い話が綴られた古い本を見つける。作家志望の彼女はそれを家に持って帰るのだが、中を開くと空白のページが目立っており、まだ乾き切っていない文章を見つけた。そこには自分の知っている名前が登場する怖い話が書かれ、それを機にステラたちの周辺で失踪事件が起き始める。

 

幽霊屋敷から本を持ってきてしまうことで事件が始まり、一度本を戻しに行くもステラの元へ戻ってきてしまう。そして、古い本に書かれた話は現実になっていくのだが、それを避ける術がない。

物語の最後はよくある、いい話系で終わってしまうので残念だったのだが。この映画では私もよく考えることがテーマに添えられていた。
「言葉は人を傷つけ、人を癒す」

歴史は読んでいると現実的ではないことが描かれていることがある。ということは、歴史というのは都合がいいことであったり、語り手によって違う物語になるということになるのではないかと思っていた。それはまるで、作家が作る物語のように感じ、聖書であったりも誰かが考えたもので、伝説も、神話も、元を辿れば、一流の作家がいるはずだと思った。大袈裟な人間が英雄を作り出し、科学が発達する前の不可解な現象を体験して、神を作り出したのかもしれない。
現代であれば記録に残せてしまうから現実的に物事を考えられるかもしれないが、過去の話は確かめようがないのだ。だからこそ、私は歴史は作家が作り、後世に多大な影響を与えてきたと思っているのだ。

「スケアリー・ストーリーズ」では、古い本に物語が勝手に書かれていき、その主人公に不幸が訪れる。「物語を繰り返し読めば、それが現実になる」と映画では言われ、それが興味深く感じた。哲学的な問いに一時停止した。

あと1週間、何を見ようかな。

 

 

枯れていく

腐っていくという状態を経験したことがあるだろうか? 組織の一員として初めて働いた時は、その組織のために自分を動かし、より良いものを目指していこうという熱に溢れていた。しかし、それはだんだんと冷めるもので手を抜き、楽をすることを考えるようになった。「どうせやるのなら、ちゃんとやりたい」だとか「自分を成長させたい」と考えなければ、熱は下がっていく一方で、私はその腐っていく状態をどのようにして改善するか考えていた。面白いことに、腐ったみかんが伝染するように、腐った人間も伝染するのだ。私は天邪鬼な人間だから、腐った人間を目にして、自分を正す気になったのを覚えている。

そして、私の今の状態を表すと腐っているとは少し違っているように感じた。ドロドロとした感情が湧いているわけでもなく、どちらかというとやる気があったからだ。しばらく考えていると枯れている状態というのがしっくりくる気がした。何かに手をつけると、このくらいでいいかなと。テストステロンが減少しているように気合いのようなものが抜けていくのだ。熱がある、ないの話をしたが。常温が続いているという感じだと思う。実際、それで不安を抱くも、大した不安ではないから、何か改善をしようとしていないのだと思う。まあ、問題が出てきてから考えればいいかと思う。

 

 

私の家で作った米は今年、30kg16000円で販売することになった。妥当な値段だと思う。5kgで計算すれば2600円だから、しかもブランド米だから、むしろ安いのではと思ってしまう。しかし、去年は30kgを10000円で販売していた。5kgで計算すれば1600円ほどだから、しかもブランド米だから、破格の値段だと思う。祖父は「金を稼ぐことが目的ではない」と言い、「みんな美味しいと言ってくれている」と言っていた。その時、私は祖父の言葉にある違和感を感じたのだ。

「みんな、美味しいって言ってくれるんだ」
普通に考えれば良かったではないかと思うところかもしれないが、その時、私は30kgの米の定価を知らずにいた。米騒動がニュースで取り上げられて初めて、米の価格を知り、私の家の米は安すぎると感じたのだ。そもそも価格設定というのは自分の財布と相談をし、その中で一番いいものを選ぶというのが合理的に感じるのだが、安いものというのはいわば暴力のようなもので、いくらいいものがあったとしても、安さには強い引力が働く。人が決めたことに口出しする気はないのだが、私はそのことにずっと違和感を感じていた。

「本当に美味しいというのであれば、価格を他の同じにしても売れる、むしろ、安いから買うのか、美味しいから買うのかが判断できない」
私は偽物が絶対に紛れ込んでいると思っていた。安いから私の家から買っているだけで、味に対しては関心がない人が絶対にいるはずだと思ったのだ。だが、それを確かめるには値段を上げるしかないので、私には権限がなかった。「美味しいねえ」と言って米を買ってくれるのは嬉しいが、それは建前で「安いから買っているんだけどね」という人がいると考えると、かなり気持ち悪く感じた。だから、その偽物が消えて、清々しい気持ちで米を運びたいと思ったのだ。そして、その今年になった。

美味しい米だから買っているということが真実であれば、値段が多少上がったところで大したことはないだろう。無理があるのなら買う数量を減らすなどするはずだ。そして、祖母に聞いてみたところ「他の安いところを探す」と言って一つも買わなかった人がいたそうだった。私はその時、心の中でガッツポーズをした。とても、気持ちが良かった。なぜなら、「美味しい」と適当なことを述べて、結局値段を優先した人間を炙り出すことに成功したからだ。そして、そんな偽物がいる反面、去年と同じ個数を頼んでいる人もいた。だから、今度はその人たちに改めて感謝をすることができるのだ。

去年、私の家に米を取りに来る人たちのことを疑ってみていた。それは、上記に記した通り、安くて買っているのか、美味しくて買っているのかの区別ができなかったからである。だから、今年はすっきりとした気持ちでその人たちを迎えることができると思った。理屈的に考えれば、嘘つきが消えたわけであるから。

 

 

とりあえず結婚

米の話で「嘘つきを炙り出す」という話を書いたが、私は自分が嘘つきが嫌いというわけではなかった。米を買いに来る人が、祖父の好意につけ込んでいるように見えてしまったのだ。だからこそ、その確認作業は大切なものだった。
私は極端な考えを持っているから、とりあえず結婚というのも絶対にしないと確信している。私の両親は私と私の妹がどちらも結婚して、子供を作ると考えている。そして、それが普通なのだが、私にそんな気は毛頭なかった。

米を買う人間の中に偽物がいるという話をしたが、結婚にも同じような人がいると私は思っている。40歳になって結婚していない自分、というのが怖くて、とりあえず結婚をする人だ。私はその人を偽物だと思っている。その後に幸せになればいいのだが、そのままなんとなく結婚をすれば、好きではない人との間にできた子供を愛すことはできないだろうと思った。

偽物について深掘りをする。
例えば酒が好きだという人がいたとして、その人が本当に酒が好きなのであれば、銘柄やさまざまな種類に詳しくなることは必然であると感じる。酒好きの偽物は、なんでもいいからアルコールを飲み、こだわっていない人間のことを指す。つまり、酒が好きなのではなくてアルコールが好きということになる。
例えばスイーツが好きという人がいても同じだ。そもそも、糖分は麻薬以上の中毒性があるものだから、好きなのかそれとも、脳が本質的に糖分を求めているのかを判断するのは難しい。では、どうすればスイーツ好きを探すことができるのかを考えると、金と時間をかけている人ということになる。作るのが好きな人や、食べることが好きな人、SNSにあげることが好きな人などの分類にも分けることができるのだ。

偽物が嫌いというか、私は気になったことを白黒つけたい性分だった。だから、本人がそうと言っていても、実際の行動を見た上で判断するというのが私の考え方だった。口は嘘をつくが、行動は嘘をつかないのだ。

結局、結婚をした。という人生が今後あるかもしれないが、少なくとも私は全く行動をしていないので、そんなことは起きないだろう。結婚をしたいのなら、待っているのではなくて行動しなければ出会いは訪れないし、その人がどんな人間なのかを見極める目も必要になってくる。私たちが生まれた瞬間にAIが最高のパートナーを組み合わせるという未来が訪れない限り、独り身はどんどん増えていくと思う。

 

 


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