第五十回 個人的な今週のエッセイ R7.03/23-R7.03/30

ブログ活動

 

 

お品書き

 

 

村田沙耶香

村田沙耶香さんの世界99、上下読み終えてみて、やはり狂っているなと、改めて感じた。
それと同時に、その”狂っている”を補充するために私は、彼女の作品を求めている気がする。村田沙耶香のファンはみんな、頭がおかしいのではないかと勝手に思ったりしている。

彼女の合理的な考えを見ていると、自分の心の中の代弁をされているような気持ちになる。合理的に考えすぎると、人生がつまらなくなるのではないかと思っていて、たまには意味のないことも必要だろう。私に染みついている考えは、なかなか消すことはできず。それを利用したり、邪魔に思ったりして、共存している。
イカれているのに妙に人間味を帯びたキャラクター、そのリアルさが、自分自身を描写されるように思えてしまうのが、彼女の凄さの一つだと思う。

「優しい世界があったらな」
そういうことをよく考えていた。私の場合は、優しいことが素晴らしいと言っているのではなくて、無駄が嫌い、の先に優しさがあった。
人の愚痴を言うのは、無駄なことだし、いじめや差別などの必要のないことをわざわざ自分の時間を使ってまでしている。
誰も得しないことをしている意味が分からないというのが考えで、誰かのネガティブな発言を聞くたびに、「なんか、この人燃費悪いな」と思ってしまう。
そんな非合理的な行動をするのは、性格がそもそも違うからだろう。
私のような人間であれば、ネガティブなことをわざわざ言わないし、ポジティブな人間もネガティブを嫌うと思う。
愚痴が大好きで、それを口にしている時にしか幸福を感じられない人がいてそういう性格なのだろう。それでしか幸福を感じられないと考えれば仕方ないし、ただ本能に流されているだけなら、やはり、燃費悪いなと思ってしまう。

自分には理解できない性格も、存在しているのであれば受け入れていくしかなくなくなってしまう。
性格、環境が違うなら、相手のことを理解することはできないので、想像することしかできない。それを前提として、想像をする。

例えば、性格ごとの街があったらどうなるだろう?

MBTIでそれぞれ16種類が、別々の場所で育ち、相性のいいグループでチームを組まされる。仕事をする時は、その方が効率がいいと思うし、もちろん、家族というのは家族で性格関係なしのグループとなっている。

自分と同じような人間だけが住む街があったら、どうだろうか。そんなことを考えた時に、つまらないのではと感じた。
私はそもそも人と群れたくないので、そういう人が集まれば、個々として存在するだけの空間が出来上がる。
人と人が関わらないとドラマであったりは起きない。

それと同じで、優しい世界があったとして、優しさだけでは衝突が起きず、つまらないのではないかと考えていた。喧嘩があって、仲が深まるだろうし、嫌われる上司がいて、同期との仲が深まる場合もある。
クリーンな世界というのは、安全であるが、刺激が少ないものだと思う。
だんだんと、ホワイトになっていく世界。
現実にも、そんなホワイトな世界が訪れている。
その先を描いたのが、世界99になるのだと思う。

酷い事をされたのに、自分が自意識過剰だと思われるのが嫌だ。と思っている人がいれば、見えない場所での痴漢が増える。
部下のできていないところを強く注意して、訴えられたくない。と思っていれば、ダメな部下が増える。

愚痴が嫌いだとしても、それが0になってしまうと、何かしら問題が起きるだろうし、逆に優しさだけの世界であっても同じことが起きると思う。
私は極端な人間なので、特にそう感じる。
自分がすることの反対側の行動を想像することで、自分を中立に持っていった気分になれる。
何事もバランスだろう。

自分が正常だと思っている人は、イかれたことを月に1〜2回してみるのもいいかもしれない。
村田沙耶香さんの小説に共感できれば、イカれているし、共感できなければ正常だと思う。

とりあえず、これを読んでみることをおすすめしたい。

『地球星人』『殺人出産』『ギンイロノウタ』『消滅世界』『生命式』

 

エブエブ

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』を通称エブエブというらしい。2023年の映画で、この映画が出た当初は色々と騒がれていた。
オスカー賞を7回受賞しているのでなかなか見応えのある映画だった。
先日、prime videoに追加されていたので、早速観てみた。

主人公役の女性どっかで見たことあるな、夫役もどっかで見たことあるなと思い、後で調べてみると、女性の方は『ハムナプトラ3』で不老不死の女性役、夫の方は『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』で出てくる子供だということに気づいた。
私は映画っ子だったので、とても懐かしく感じた。
あんな小さな子供だったのに、バリバリのアクションしちゃって、と私の方が明らかに年下なのだが、その成長を大人視点で見てしまった。

映画はとても複雑なもので、マルチバースの概念が使われている。
違う選択をして、違う人生を歩んだ自分であったり、そもそも地球の歴史が違う宇宙の自分であったり、指がソーセージの人類だったりと、想像しうる全ての自分がそれぞれ繋がりあっているという、並行世界のような考え方になっている。

戦闘経験がない主人公の女性がカンフーの達人になった世界から特技を取得し、カンフーをして敵を倒す、といったようにそれぞれの可能性を使って、敵を倒す。敵も同じように違う世界の自分から特技を取得し、主人公と戦う、となっている。
だが、簡単に特技を取得できるわけではなくて、『おかしなこと』をしなければならない。
それが、この映画で面白いと思った設定である。
おかしなこと、自分が普段しないぶっ飛んだことをするという設定があるので、この映画はかなりカオスになっている。
急にリップを食べたり、歌い出したり、はたまたトロフィーを突っ込んだり(どこかは、実際に見てもらいたい)

どうやら、この世界ではおかしなことをすることで、より遠くの自分と繋がることができるということらしい。ゴムパッチンの要領と同じで、とびっきりのイかれたことをすれば、より遠くへ飛べ、より強力な特技を取得することができるのだそうだ。

私は、この設定が人生と似ていると思い、なかなかいいなと感じた。

自分が普段生きている日常は、規則的で同じことの繰り返し、同じ道を通って、同じ時間に家で飯を食べることだろう。
それを、おかしな行動、普段自分が取らない行動をするだけで掻き乱すことができる。

カオスを自分で作り出すことで、新しい発見、新しい出会いをすることができるかもしれない。家族愛がこの映画のテーマだと思うが、私的にはその『普段しない行動をしよう』という方がメッセージ性を感じた。

人は、恒常性を本質的に持っているので、変わった行動をすることを嫌ってしまう。
例えば、いつも行く店でいつもと同じ席に座り、いつもと同じ注文をしてしまう。というように変化を嫌ってしまう特性があるのだ。

意識的に変化を拒んでしまうので、なかなか普段と変わった行動はできないかもしれない。
私はそれを知った時に操られているようだと感じた。
脳がめんどくさい行動を避けて、エネルギーの消費を抑えるためだろうと感じた。

無意識に選んでいる行動は、だいたい合理的なものだから無駄が嫌いなら、無意識に任せるのがいいかもしれない。
それが嫌なら、自分で選ぶしかない。
非合理的な行動は間違いなく人生を楽しいものにしてくれる。

 

 

偽善者

ピザが食べたい。なんとなくそう感じ、近くのピザ屋に行った。
店内に置いてあったチラシを見て、マルゲリータを見つける。普通のピザでいい、トマトの味がして、少しのチーズがのっていて、ほとんど考えず私はそれを選んだ。カウンターでは他の客が注文をしている。車椅子の女性だった。大きな眼鏡をかけ、頭にスカーフのようなものを巻いていた。注文を終えた女性は、カウンターから離れ、商品の受け取りを待つために椅子が置かれた場所へ移動した。前進し壁にぶつかるところで、180度回転させ、こちら側に向き直す。店内は狭く、入り口に置いてある看板は、車椅子の女性にとっては、邪魔だろうと思った。どかそうかと思ったが、それは店のやることで、部外者の私がすることではないと思い。注文をした。

注文が終わり、椅子で携帯を見ていた。
車椅子の女性に商品が受け渡される。
その女性が、店を出る雰囲気だったので、扉を開けようかと思ったが、私は何もしないことにした。
「開けてあげたら?」
私の横にいた知人が、扉に近い私に声をかける。
私は、仕方なく立ち上がり、扉を開けるために外へ出た。強い風が吹くため、扉は重く感じた。
「どうぞ、」
車椅子の女性は、あからさまに嫌な顔をした。私はやはりかと思った。
店員が気遣いをして女性の商品の口を縛ろうとした時、女性は一言も発せず、店員がいないもののように振る舞っていた。このタイプの人間は、自分で自分のことをしたいと思っているだろうと思ったのだ。いつまで経っても外へ出ないので、私は諦めて店内へと戻った。私の行動に対して、何も言わずその女性は、店へ出ようとした。

風が、吹く。車椅子の女性は、そのドアを押すのに苦労していた。私は、直感的に何もしない方がお互いのためだと思った。だが、私の横に座っていた知人は、その女性を手助けしようとドアを開ける。女性は、またもや後退り、知人へ強い視線を送っていた。知人は「どうぞ」「いいですよ」と言葉をかけるが、一切反応せず、目だけで訴えている。やがて知人は折れ、扉を閉める。車椅子の女性は、風で重くなった扉をこじ開け、外へ出て行った。

「なんだろうね? なんか、嫌だね」
そういった知人に対して、私は「そんなもんじゃないか」といった。

親切ってさ、押し付けるものとかじゃないんだよ。相手が必要だと思って、勝手に手伝ってさ、感謝されたいなんて、そんなの傲慢だよ。

私は言葉を飲み込み、小さく言った。
「おかしな人だね」

 

 

誕生日

23歳になった。
20歳を過ぎてから、色々と余計なことを考えることが多いような気がする。考えても意味がない将来への不安とか、そんな余計なことを考え、気分が沈むと、本当にしんどくなる。
21歳の悪魔というのを聞いたことがある。
音楽家が悪魔との契約を行い、売れる代わりに魂を差し出すような。
そんなことが頭をよぎる。

20歳を過ぎた時、同級生が二人死んだ。
理由は分からないが、二人とも明るい人間だったと思う。

20歳を越えると余計なことを考える機会が増えるのだと思う。経験をしたとか、本を読んだからとかではなくて、そういう脳の構造をしているのかもしれない。

23歳になり、24歳になり。
私は、これからも生きていくのだと思う。
死んだ二人のことを考えることがある。

死んだ理由とかではなくて、頭が押し付けられるような感覚だったり、目の前が暗くなり、力が入らなくなるような感覚だったり、どんな状態だったのか。
不安に押しつぶされる時、彼らは泣いたりしたのだろうか。

そういうことを考えるたびに、生きていこうと思う。

 

 


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