週末の唄 第二十五回 個人的な今週のエッセイ R6.9/29-10/06

お品書き
今週の映画『ネゴシエイター』
人間関係で大切なのは、関係性の構築であると思うが、その道のプロフェッショナルが『交渉人(ネゴシエイター)』である。
ただし、彼らが相手にするのは、職場の上司や同級生などの甘ったれた環境ではない。
人の命が失われるかも知れないといった緊迫した状況下で彼らは、関係性を構築しなければならないのである。
それも相手は、興奮しきり、冷静な判断でない犯罪者である。
映画では、凄腕の交渉人であるダニーが、濡れ衣を着せられてしまう。
相棒殺しと警察年金基金の横領でだ。
仲間に信じてもらえず、冷たい目を向けられるダニーは、身の潔白を証明するために相棒が死ぬ直前に疑っていたニーバウムの元へと向かう。
なんと、凄腕交渉人のダニーがニーバウムたちを人質にするのだ。
そして、署内で起きていた汚職と、相棒を殺した犯人を探すべく、別部署の凄腕交渉人クリスを指名するのだった。
私は、この映画を観た後にティム・バートンの『ミス・ペレグリンと奇妙な子供たち』という映画を観たのだが、どうやらある能力があることに気がついてしまった。
(ちなみに『ミス・ペレグリンと奇妙な子供たち』の中では異能者と呼ばれる特別な力を使う人々が出てくる)
それは、サミュエル・L・ジャクソンを判別する能力だ。
ある人にとっては簡単かも知れないが、『交渉人』の主人公のダニーはサミュエルで他にも『パルプ・フィクション』や『キングスマン』にも登場する。
そして、『ミス・ペレグリン』にもバロンという役で出てくる。
だが、初めて観た時は、全く気が付かなかった。
目に白いコンタクトを入れているし、髪の毛は、白くて全くの別人なのだ。
私が気がついたのは、喋り方と声である。
声優の声であれば、なんとなく分かるのだが、それは、自分の聞き慣れた言葉を話していて、その癖だったりを感じ取っているからだ。
洋画での俳優の声は、ほとんどが同じに聞こえてしまう。
男性も女性も低くて、同じような音程で話しているようなイメージなのだ。
サミュエルの抑揚のある話し方や、余裕さを感じられる演技からは、カリスマ性を感じられる。
サミュエルは、最近特に印象に残っている俳優だが、この映画で出てくるケヴィン・スペイシーも好きな俳優である。
『LAコンフィデンシャル』『セブン』『ユージュアル・サスペクツ』などで観てきたが、役の幅が広く特に笑顔が素敵である。
映画の中で心理戦が出てくるのだが、彼らの演技力にも夢中になってしまった。
今週の本『銃』
中村文則さんは、私が大好きな作家である。
初めて読んだのは、『遮光』でその後すぐに『土の中のこども』を読んだ。そして『銃』を読んだのだが、彼の作品に出てくる主人公は、特に印象的である。
どういった人物なのかというと、「から」なのである。
中身が感じられず、仮面をかぶっている様な人物を描くのだ。
『銃』では、そんな「から」主人公が川辺で銃を拾うところから始まる。
自殺を図ったと思われる男性の傍に落ちていた無機質な物体に心をひかれ、それを持って帰る。
この作品を読んでいる時、銃(じゅう)というのと自由(じゆう)をかけているのだと感じた。
それは、銃というのが、人を殺すために作られたものであり、それを人を救うためにも使うことができ、そして、自分の生死を決めることにも使うことができるからである。
片手に握られているのは、ただの銃ではなくて、それは神と同様なのである。私には、主人公がそう感じているように思えた。
この銃を拾ったことによって、気分が良くなったというのは、この男にとっての銃が、他の人にとっての生きがいと同じような意味合いを持っていたからだろう。
丹念に磨き、自分のものとして、徹底的に管理していた。
しかし、男には、撃ちたいという欲望が出てくる。
銃の魅力に男が惹かれていき、だんだんと破滅していくのだ。
中村さんは、社会学を勉強していたらしく、少年院や刑務官に興味があったそうだ。
彼が掲げているテーマは、悪であり、そういったダークな内容を表現している彼の作品は、暗い人間にとってはたまらない。
薬を服用し、心を落ち着かせるようなそんな作品なのだ。
自分の心が病んでいる時や、腐りかかっている時にこういったジャンルの本を読むと、自然と笑顔になってしまう。
それは、心から楽しいと思っているからだろうと、そう思うことにした。
祖母のDカード解約
祖母がドコモのゴールドカードを作ったのは、去年だった気がする。
携帯の契約ついでにそのカードを作ったそうだが、それを解約したいと私に言ってきた。
そのカードの使い方が分からないという、携帯を見ていると、溜まったポイントは、10000ポイントを表示し、ポイントを手に入れても使い方が分からない人がいると思った時にどれだけのポイントが無駄になくなっているのかを想像していた。
ドコモのカードを解約するには、携帯で簡単にできる。
音声に従って、番号を押していけばいいのだ。
だが、それができないからといい、私にそれを押し付けてきた。
午前中にドコモの携帯ショップにいった後でである。
私は、その時に携帯ショップの店員の顔が浮かんだ。
愛想笑いを浮かべ、しつこく聞いてくる私の祖母にこうすれば簡単だと言いながら、ハズレを引いたと考えているのだ。
恐らく、そういった老人は多いのだと私は思った。
解約の仕方を知らないまま、月の終わりにお金だけが消えていき、なぜ、お金がなくなっているのかも分からないまま、死んでいくのだ。
実に不親切だ。
やり方が分からない人間はそもそも契約をするなと思ったが、それ以上に親切に教えなければならない立場であるのにそれを怠るというのが、気に食わなかった。
祖母は、自分のドコモのI Dも知らなければ、パスワードも知らないというもので、なぜ大切な番号を記録しないのかということを感じた。
「番号が分からなければ、解約できても確認ができないじゃないか!!」
そんなことをいっても、言葉が通じていて、意味が伝わっていないのだろう。
「知らないもん」の一点張りである。
終わっている。
仕方がないので最後までやるが、思った以上に時間がかかってしまった。
最後にありがとさんと言われたが、時間かかったな〜とナチュラルに煽られて終わった。
自分の祖父母たちが分からないことでも、携帯に慣れている私たちであれば、案外簡単に悩みを解決できると思う。
詐欺もテクノロジーと共に進化しており、かなり複雑なものとなっている。
そんな時だからこそ、お年寄りの面倒を見てあげよう。
得意なこと同士で補える世の中にしていこう。
物語の見方
私が小説を読んでいる時は、書かれている文章から登場人物の容姿を考えていき、書かれていない場面をその人物の性格から補うことで不鮮明ながらも人物像を作り、そして、それを動かしながら楽しんでいる。
文章は、論理的な組み立てがあるので、ハマる設定というのが必ずあるのだ。
そして、実写版を見たくないのは、簡単なことで、自分の想像上の女性よりも美しい女性などいないからである。
容姿だけではなくて、細かい仕草や服装などが、映像として決められてしまうと、それ以外のものが偽物の様に感じてしまうのだ。
これからどんどんとレベルアップしていけば、もっと鮮明なものになっていくと思うのだが、それ以上に興味を持っていることが、作者の主義についてである。
自分の好きな作家は、変わった物語を描いており、その世界観がたまらなく愛おしく感じる。
村田沙耶香さんの話は、人間の本質に触れたもので、進化心理学で書かれる様なものが描かれている。
中村文則さんは、実存主義の作家が好きだというので、大江健三郎さんや安部工房、サルトル、ドストエフスキーなどの影響を受けている。
作家が、どんな考えを持っているのかというのを知れば、その物語の深みに辿り着くことができるし、自分の好みを知れば、好きな本を見つけるのも簡単になると感じた。
小説は、単に風景を思い浮かべるものではなくて、作家の考え方に触れるというのが大きなものとなっていると思う。
癖だったり、共通点だったり、一冊読んだだけでは分からない様なものを集めていき、それが輪郭を形作っていくのだと思う。
スロットマシーン
ギャンブル依存症というのは、脳の作りが変化して、それ以外の刺激が通じなくなることによって起こる。
私も付き合いでパチンコを打ったことがある。
玉には、1円だったり、4円だったり、違う機種がある。
ちなみにカイジでは、一発5000円のパチンコ泥沼というのが出てくる。
最初で最後のパチンコは、1円パチンコで1000円の勝ちだった。
1000円入れて、1000円勝ち、という地味な運が私らしいと同僚に言われた。
私があそこには行きたくないと思ったのは、機械に食いついている老若男女がゾンビの様に見えてしまったからだ。
ゾンビの様になりたくないというわけではなくて、人をゾンビであると考える自分が嫌だったので、経験としての一回きりだった。
だが、スロットマシーンというのは、日常に溢れているのだ。
初代、スロットマシーンが、発明されたのは、私たちがまだ猿の時だ。
脳は、生存率を上げるためにこの機械を導入したのだが、当時、カロリーが高かった、果実がスロットマシーンでいうところにあたりになっていた。
木に登り、期待し、果実を見つける。
この一連の流れは、ルーレットを回し、それが当たりかどうかの結果を表すといったことと同じ役割だ。
そして、私が無意識に行なってしまうスロットマシーンがある。
それは、女性の風貌を見て、その後顔を見るというものだ。
好みの服装、後ろ姿、雰囲気の女性を捉えた時にルーレットが周り、女性の顔を見た時にそのルーレットが止まる。
結果は
『タイプ、可愛い、可愛いけどタイプじゃない、普通、違う』
結果は、結果でしかないので興味はない、回すことに意味があるのだ。
都会に行くと、玉をたくさん配られるので、何度でも回してしまう。
目を瞑るか、本を読むのかして、注意を逸らさないと死ぬまでずっと回し続けてしまいそうである。
これは、男の本能だと思うが、先ほども言ったように結果にこだわりはなく、回すことに意味があるので。
終わりがないのである。
主張
作家に惹かれるのはなぜかを考えた時に作家の主張に力強さを感じたからだと思った。
間違っているとされていることが自分には正しい様に見えた時にその意見を持ち続けることはできるか、そんな感じだ。
誰かの仮面を被っていれば、世の中は簡単い生き抜くことができる。
なぜなら、人に好かれる性格というのは、決まっているからだ。
しかし、嫌われてまで自分を出したいという人もいる。
嘘をつくことは良くないと、自分の人生なのだから、誰かのために生きるためではないと、そんな主張が聞こえる。
怒られることが嫌いで、人の顔色ばかりを窺っていたので、人の気持ちを読み取る能力が上がってしまった。
怒られることが嫌いだったので、美術などの自由な表現も安全なものを選んだ。
怒られることが嫌いだったので、自分の主張を殺すことを覚えた。
私は自己主張が激しい方だと思うが、それは生まれた時からそうだった。しかし、怒られることにより、何個かの安全策を持つことが癖になってしまった。
作家は、色々な本を読みその影響を受け継いでいると思う。
それは、遺伝子のようなもので、本を通して今後も受け継がれる。
自分が思っていることが正しく相手に伝わらないようなそんなモヤモヤが、人間臭さであり、嘘が必要のない機械には、分からないのだ。
賞味期限とジャネー
どうして、賞味期限、消費期限を守れないのかと考えた時に一つの仮説が思い浮かんだ。
それは、ジャネーの法則から借りることができる。
ジャネーの法則というのは、時間の進みは一定であるが、生きていればそれに慣れてしまうというもので、人生の中間は、18歳と言われている。
一年が1歳で365日だったのが、年寄りになるにつれ100日、1週間と短くなっていくのだ。
そして、それと賞味期限である。
どうして、賞味期限を守れないのか、簡単である。
私た彼らとでは、流れている時間が違うのだ。
私が敏感になっている時間でも彼らからすれば、1日のずれなど大したことはないのである。
一年前の缶詰を食べ、数日前に切れた肉を食べるのである。
賞味期限が書かれていなければ、食べてみて判断を下すが、数字が書かれているのであれば、それを守るべきだとそう思ってしまう。
私は、そう言ったものに縛られる性格なので、壁の線や棚の線にものを合わせるように数字を基準にしたいのである。
食えればいいじゃんと思うが、私は食うか食わないかではなく、数字に執着したいのである。
小説の色
カレンダーを見ている時に昔の人は、カレンダーがない状態で何かを感じていたのではないかと思った。
曜日毎の記号がなくても、見たこともない色やイメージを脳に思い浮かべていたのではないかというものだ。
水曜日は、青、火曜日は、赤というのは単調かも知れないが、水曜日を青いものと特定せず、1週間の中間なので、緩やかなものをイメージしたり、金曜はバタバタとテンションが上がるような興奮をイメージしたり、ものにはイメージが宿っていて、過去にそれらがなかった時にも同じことを考えているのではと感じた。
それが、同じものをイメージしていたらなんか、気持ちいいと感じていた。
文章も意味を表しているだけではなくて、音として見た時のリズムから雰囲気を感じ取ることができる。
強い言葉の命令口調には、相手を服従させたいと言った、権力の色を感じる。相手に寄り添うといった、心からの言葉には暖かい温度を感じる。
感じているのは、自分なので、無機質な文字の配列に特別なものを想像しているに過ぎないのだが、作家はそれを意識していると私は思っている。ただの文字の並びが温度や音、香りを表しているように思えてしまう。
終わりに
私は、寒がりなので毛布を使い、もこもこのパーカーを着こんで寝ています。寒いと行動することが億劫になり、何もしたくなくなります。
今年は、机サイズのこたつを購入したので、それで読書をするのが楽しみです。
季節の変わり目とのところで風邪、体調管理にはお気をつけください。
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