第七十六回 個人的な今週のエッセイ R7.09/21-R7.09/28

ブログ活動

 

 

お品書き

 

明日ひま?

「明日、ひま?」という言葉を受ければ、自分の予定を確認し、「ひま」だと答えるのは、それがあまりにも抵抗のない行動だからだろう。相手は私を遊びにでも誘うのかもしれないと考え、何か手伝いをさせられるのかもしれない、と考えたりする。もしくは、私の返信次第で相手はそれらを使い分けてくるかもしれない。だから「明日、ひま?」には多くのリスクがあるのだ。遊びの誘いだと勘違いをし、何か手伝いをさせられてはたまったものではないからだ。

私はその心理戦を挑まれた時、まずは相手の性格をじっくりと考える。そして、相手との会話を思い出し、直近で何かあったかを考える。そして、最後に自分の気分を考える。気分が良ければどんなことにでも受け入れたくなるものだ。だが、気分が乗らない時には人の役に立ちたいなどとは思わない。表面的にそれが相手に伝わってしまえば、最悪な空気が流れるだろう。だから、誘われてからその1日を終えるまでの想定をして、自分を安心させる必要があるのだ。

具体的な予定を伝えてくれればいい。どこに行く、何を食べに行く、そうして伝えてくれれば、私が何か理由を考えて断るなど、めんどくさいことをせずに済む。そして、深読みもせずに済む。何か、都合の悪いことを隠そうとするから、そうして遠回しになってしまう。それに私は一人の時間が好きだった、だからすぐにめんどくさくなるのかもしれない。衝動的な楽しさで動くような、そんな感じであればすぐに返事をするのだが。明日になった時には普通、別の気分が流れているものだ。

 

 

矢倉は将棋の純文学

と、将棋のYouTuberが言っていた。そのチャンネルに出会ってから、私は将棋というものの面白さを感じた。そして、そのチャンネルは将棋の面白さを伝えるために投稿を行なっているわけであるから、素晴らしいチャンネルだと思う。私も実際に本を買ってみて、将棋というものを勉強してみた。その本はロジックで一手ずつの説明を行ってくれるため、私が疑問だった序盤の定石がだんだんと分かってくる。

将棋はそもそも、自分の王が詰まされる前に相手の玉を詰ますというテーマがある。初めの陣形は同じだから、すぐに詰ますことはできないため、攻めの準備、そして自玉の安全を優先に手数を進めていく。攻めというのは角や飛車などの大駒を使わなくてはならないため、初めの手は角や飛車の動線を開ける必要がある。将棋の面白い点は攻めばかりではダメというのと、受けばかりではダメという点だ。攻めは飛車の縦線で始まることが多いため、玉を相手と自分の飛車ラインから遠ざける必要があり、また玉を囲いすぎては逃げ道が潰れてしまうため、金と銀を互いに紐付け合いながら緩やかに守ることも重要である。

将棋の陣形の中に矢倉というものがあるのだが、守りに使われていた角が飛車と共に2筋の攻めを始めるタイミングがたまらなく好きである。私が小学生の時は飛車ばかりを動かしていたのだが、プロの勝負では同じ駒をあまり動かさず、バランスよく全体を形作っていく。全ての駒が使われていなくては勝てないと言われるほど、プロの勝負は拮抗している。終盤戦で訪れる勝敗を分ける手が評価値を上下させ、最後は唐突に訪れる。

 

 

人の声

私は声優が割と好きだった。声優は元々映画の吹き替えがメインの仕事であったから、海外の俳優に合うという声というのが不思議でならなかった。今ではアニメで声優が活躍し、映画の吹き替えにはタレントが使われているように思う。
私はYouTubeでも普通に生活を送っていても、声を聞くことが好きだった。よく通る声は聞き取りやすく、特徴的な声は興味を惹かれた。声を聞いているうちにその声の特徴でどんな口元をしているのかを考えるようになった。声の発生に空洞のようなものを感じたら、口内が広く歯が出ているようなイメージがある。カフェで人の声を聞くと、どんな顔かが想像できる。喋り方や内容でも服装や見た目、雰囲気のイメージが湧く。実際にほとんど想像通りになるというわけではないのだが、小説の文章を読んで、人が出来上がることと似ていて、自分の想像上の人物が出来上がる感覚が割と好きなのだ。

ちなみに私の好きな声優は大塚芳忠さんであったり、大塚明夫さんであったり、ベテランの声優になっている。かっこいい声はいくら聞いても飽きない。

 

 

納得のいくもの

理由というのはあってないものだと私は思う。なんで、と相手に言われた時に自分が話すべきなのは自分の思いではなくて、相手を納得させるものだと思っているからだ。と、考えているから私は、そうして相手が納得のいく否定できない理由を探していたのだが、私自身がそもそも自分の思いをよく分かっていないということが多かった。私は、なんとなく生きていて、感覚でものを選んでいる節があった。直感というものは私が最も信頼をおくもので、結果を見た時に良かったということが多いと感じた。

自分を納得させるというのも難しいもので、理由はあってないものだと思っているから、どんなものでもいいと思っている。しかし、それは納得がいくというか、妥協に近いものでやはり、私はあってないものだと思う。
理由は人を納得させる力があるから、もっともなことに頷きたくなる。そんな実験があった。コピー機の列に並んでいる人に「コピー機を先に貸してください」というのと、先に何か理由をつけてコピー機を貸してくださいというのとでは、理由をつけた方が譲ってくれる確率が高かったという。そして、この実験の面白い点はその理由はどんなものでもいいということだった。たとえば、「コピー機を使わなければならないので、貸してください」というものだった。ほとんど理由を説明していないのにも関わらず、譲ってくれる人がいたのだ。

だから、別に人を納得させようとしなくてもいいし、自分が無理に納得をしようとしなくてもいい。理由なんてどうでもいいことだし、そんなどうでもいい理由に人は納得してしまうのだから。

 

 


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