週末の唄 第十九回 個人的な今週のエッセイ R6.8/18-8/25

お品書き
評価×AI
人間が評価をすると碌なことがないと私は考えている。
全てが客観的な情報で判断されるわけではなくて、個人的な関係性も少なからず考慮されている気がするからだ。
そしてそれは無意識下に働いているものなので、評価する本人は気がついていない。
上司に気を利かせて飲み物を献上することが点数に繋がっている。
だが、そんな私的なことに点数がついたとしても、組織に貢献しているわけではないので、意味はない。
自分の評価だけが上がり、上司の気分を察知する能力が向上する。
だが、そんなものは何の意味もない。
そこでAIの出番だ。
私的な感情の一切を排除し、点数になるものだけを選び取ることができる。
そうすると、人付き合いだけで生きてきた人たちは不利になるかもしれない。
だが、点数が反映されるのならその方が公平だと思う。
そんなことを考えていたのだが、そこまで完全なAIができるはずがない。
理想はあるが、バグを発見することに長けている人たちもいると思う。
完全なAIに至るまでにどのくらいの時間を要するかは分からないが、そんな時は来るのだろうか。
そもそも、私が評価を疑い始めたのは、人付き合いが点数になっている社会に対して、気持ち悪さを感じたからだ。
自分の本心からくるものではなくて、自分の評価を上げるために飲み会などの強制イベントに参加するのは本意ではない気がする。
不機嫌な顔や、笑顔で強制イベントへの反応を見ることができる。
私は、行きたくなければ行かなければいいという考えなので、不機嫌な顔をするくらいであれば、行かなくていいと思う。
だが、中には我慢が上手い人もいる。
笑顔でいるが、本当は参加したくなかったという類の人たちだ。
自分に嘘をついているというのは、なんとなく不快に感じる。
だが、人が評価をしているから、いい人のふりをする必要があり、そのおかげで表面上のいい人というのが、できているのかもしれない。
いい人のふりをする必要がなくなるかもしれないが、いい人になる意味がなければ、冷たい人間が増えてしまうのかもしれない。
TENET
クリストファー・ノーラン監督のTENETを久しぶりに観た。
難解映画で説明するのは難しい。
時間がそのまま流れる順行と反対に進む逆行が入り混じるSF映画だと思ってもらえらばいい。
こういった映画を見ると監督の頭を覗きたい願望が出てくる。
主人公が順行中の逆行は、銃を打つ前に壁に弾痕があると言ったものがあり
主人公が逆行に入ると、空を飛んでいる鳥は後に飛び、呼吸も反対になる。
そのため酸素マスクをつけて行動しなければならないと言った決まりが出てくる。
この映画は、運命を変えることができないと決められたおり、未来で起きることを防ごうとしても、その防ごうとすることすら未来で決まっていると言ったように過去と現在、未来が一直線で繋がれている。
未来や過去が変わったりするのは、パラレルワールドと呼ばれるもので、自分の世界の兄弟に移るということだと思う。
パラレルワールドが出てきてしまうと、過去から未来までの絆のようなものがなくなっているような気がして、感情移入できなくなってしまう。
未来は変えられない。
未来は変えられる。
並行世界を信じているのであれば、未来は変わるし、そうでないのなら未来は決まっている。
TENETでは、未来は決まっているとされているが、どちらがいいのだろうか。
選択によって未来が変わるというのは、自己啓発のようで好きだが、SFのように過去を変えられるとなってしまっては、面白みが欠けてしまう。
過去があって今があると思いたい。
だから、全てが決まっていて欲しいと思う。
すばらしき世界
邦画を観るのも悪くないなと感じている。
今週に観た邦画は『すばらしき世界』と言う映画だ。
殺人の罪で服役していた男が13年ぶりに出所することになった。
自分の女を守るためであったが、過剰防衛によって相手の男を殺してしまったために殺人罪を言い渡された。
嘘をつけないので、殺す意思があったことを指摘されてしまうのである。
男は、刑務所から出るが、社会に溶け込むために苦労する。
怒りっぽい性格も相まり、いざこざも絶えることはなかった。
そんななか、ある取材班が男の元を訪ねる。
男は、母親に会いたがっていることを知り、母親探しをすることになる。
この映画で記憶に残ったシーンを紹介しようと思う。
すぐに大きな声を出してしまう男は、そのことを注意される。
自分の感情を表現するのではなく、『受け流せ』ということを言われるのだ。
そして、介護福祉施設で働きはじめることになるのだが、そこで障害者の職員がいじめられている所を目撃する。
いつもであれば、何か武器を持ち暴力によって解決しようとする男だったが、『受け流す』という選択をした。その場に関せず後を去るのだ。
その後、いじめていた同僚たちが面白おかしく、その障害者のことを他の職員に話していた。
逮捕歴や反社との関わりがあるなど、自分たちをも卑下しながら周りに共感を求めるのだ。
男は、共感を求められたことにより怒りを爆発しそうになる。
机の上の鋏を見て、少しの時間が経つ。
このシーンは、私たち観客に与えられた思考時間だと思った。
私は『やってしまえ』と思い、男に期待してしまったが、それが間違いであったことに気がついた。
そういった演出なのだ。
『やってしまえ』と言った期待を男へ向けるように仕向けられた演出なのだ。
そして、これは観客が映像を他人事で観ているから言えることではないのかとも考えた。
自分だったら、するのか?
怒りに任せて、傷つけられたことにも気が付いていない障害者のためにその男性を怒ることができるのか?
できないはずだ。
衝突を避けるために『受け流す』というのは、安全なことで賢明な判断だと思う。
だが、衝突を恐れて何もしないのは間違っているような気がした。
主人公は、事故を起こしまくる運転手だとすれば、ほとんどの人は、事故を恐れて車を運転しない人たちだと言える。
映画を他人事で観て欲しくないと言った監督からのメッセージを受け取った気がしたので書き記しておきたい。
「普通じゃん」
人に何か言われた時に「普通じゃん」と返している人はいないだろうか?
私はこの「普通じゃん」という言葉を脳死の言葉だと考えている。
そんなことは、普通だ。他の物事と変わりないと考えるのは、その物事からの学びを捨てることになる。
そして、「普通じゃん」という言葉を使い出したら最後、物事からの新しい発見を閉ざしてしまうのではないかと考えた。
私は、頭が使われないことを『脳死』と呼んでいる。
発見を無くしてしまう言葉、チャンスを逃してしまう言葉、人に嫌われる言葉。
言葉には、いろいろな印象がついている。
言葉そのものがもっている力を考えて言葉を組み合わせるのも面白いと思う。
命令口調だったり、お願いだったり、助けを求めたり、いろいろな伝え方があるはずだ。
相手がすごいと感じたことに対しても、一緒になって喜んであげるというのが得策かもしれない。
食レポ
私は、食レポが嫌いである。
まずい店に行くという企画があり、何がどの程度まずいのかを考える番組があれば、面白いかもしれない。
大抵の番組は大盛りの迫力を伝えるか、美味しいと連呼するタレントが映ったものしかない。
チュールのCMを観た時になぜ、あんなに美味しそうに食べるのかが疑問だった。
動物は食べ物に目がない、我が家のウサギもそうだ。
恐らく、家族カーストの一位は、チモシーだろう。
食べ物に群がる虫であったり、チュールの犬や猫だったり、私は何に惹かれれているのかを考えた時にそれは、食欲なのではないかと感じた。
食欲が目の前で動いているようなもの、それに対して大きな感動を得る。
だから、大食いが嫌いなのかもしれない。
食べ物を勝負事に使い、しかも吐きそうな顔で食事をしていることに嫌悪感を感じる。
どうせなら、廃棄される食べ物で大食いを行って欲しいとさえ思ってしまう。
コナダニ2
床を小さな生き物が歩いていた。
ゆっくりと手を伸ばし、人差し指の腹に重みを加えていく。
コナダニの大量発生を見た時、鳥肌が治らないというようなことが起きた。
神経質になり、自分が使用しているものに虫がついていることが気持ち悪くて仕方がなかった。
だが、その気持ち悪さも段々と薄まっている。
床を歩く、コナダニは潰すが、一匹でトコトコと歩いている姿はとても愛らしい。
集団でいるから気持ち悪いのだ。
気持ち悪さになれるというのが、人生なのだと私は考えていて、子供の時のような潔癖さが、段々と薄まっていくと考えている。
ピーマンの苦味に慣れ、嘘を許容できるようになる。
気持ち悪いと感じていることに慣れていくと、自分が成長したような気になる。
ポジティブにもネガティブにも感じない『無』という反応を目指しているのかもしれない。
存在しているものをただ受け入れていくのだ。
躁
双極性障害という気分障害がある。
底しれないほどの虚無感とわけの分からない気分の高揚が訪れるものだ。
躁の状態というのは気分がいいと感じてしまう。
私が躁になっているのどうかは分からないが。
訳も分からず、早い時間帯に起きたり、何か忙しさを感じていると躁になれる気がする。
テンションが上がり、何でもできるような鈍感さを手にすることができるのだ。
程よい脳の回転は気持ちがいいが、考えすぎてしまうとマイナスシフトに思考が切り替わってしまう。
ネガティブと思考力というのは密接に関わっているのだと思う。
文字を書くてが止まらないような思考は、有意義な時間を与えてくれる。
それとは反対に手が動かず、頭も何も感じない時というのが鬱に近い状態なのだと思う。
躁は気分がいいが、鬱というのは生産性がないので嫌いである。
生産性がどうとかすらも考えられない。
ただ、何もせずにずっとじっとしていたい、そんな考えが脳を埋め尽くしている時に気持ちよさを感じてしまう。
もしも、それが嫌いだったら簡単な運動だったり、誰かと会話をしてみたらいい。
気分が悪い時に人とは、話したくないから
まずは筋トレでもすればいいと思う。
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