物語は自分の目で見るべきなのか、それとも

本を読んでいる時にいつも考えていることがあります。
それは、この物語がハッピーエンドなのか、それともバッドエンドなのかということです。
人によって、解釈が変わる物語が、この後味についてだと私は思います。
ある話で、冤罪で死刑を言い渡された囚人がその判決に抵抗することなく、終わるというものがありました。
その囚人は、死にたかった、それだけです。
たまたま、自分が疑われて、誰かを傷つけたこととされてしまいましたが、実際には、人を傷つけることができない優しい人間です。
その囚人にとっては、それはチャンスだったのでしょう。
昔関わっていた人たちは、その人がやったということを聞いて、耳を疑いました。そんなことをする人ではない。
しかし、囚人が否定しなかったことによって、やったのだろうと考えることにするのです。もちろん、疑った人もいました。
その信じた人が、行動し、真の犯人を見つけた時には、もう死刑が執行されてしまった後だったのです。
真実が判明する前に命がなくなってしまえば、証明する意味がありません。
自分で死ぬことは勇気がいることだと思います。
そして、自分が死にたいという願望を叶えるために事件を起こし、死刑を宣告されるという人もいます。
それに嫌悪感を抱いていた囚人は、自殺を図ることもできず、必要としていた人に裏切られ、心がすり減っている時にそのチャンスがやってきたのです。
多くの人がその話を見れば、無実の人が死んでしまったというバッドエンドを迎えたものとして、記憶に残ると思います。
しかし、私にはその話が、ハッピーエンドのようにしか見えませんでした。
自分の念願だった死を叶えたからです。
なぜ、その話がバッドエンドだと思ったのかを考えました。
それは、生きていることが正しい、死ぬことが間違っていると私たちが思い込まされているからです。
そして、大半の人は今の自分の人生に満足しているからそのような考えにいたるわけです。
囚人にとって、生きることは辛いものでした。
そして、その囚人以外の人は、死にたくなるほどの苦痛を味わっていません。
よって、苦しみを理解することはできません。
生きていれば、いいことがある。
それは、その人の尺度で人生を見ているから感じることであり、考え方も生きてきた環境も違う他人に強要することではないと感じました。
だからこそ、人のどう思われようとも、嘘を塗れていようとも、自分の目的を叶えた囚人にとっては、ハッピーエンドだったのだと私は思いました。
視点を変えれば、それがどんな物語なのかが変わると思います。
囚人を信じていた人にとっては、悔いが残る話ですし、囚人がやっていないことを信じ始めていた、刑務官も同じです。
やったことに対して反省を口にしない理由が分からないといっていた人にとっては、すぐに忘れてしまう話題だと思います。
テレビでそれを観た人、実際にその人と関わったことがある人、その人と真摯に向き合ってきた人。
その人の関わり方が、物語の後味を決めるのだと思います。
だからこそ、上部だけの情報で、他の人の冷たい言葉に同調することだけは、絶対にしたくないことです。
真実は分からないだったら、いいように考えればいいと思います。
囚人は、食べたいご飯を食べるように、着たい服を着るように、行きたいところへ遊びにいくように、死にたくて死んだのです。
それでいいではありませんか。
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