解毒

私の脳内

物を捨てるという行為が嫌いで、だが物が溜まっているという状態が嫌いな私は、それだと部屋が散らかると考えた。部屋が散らかれば過ごしづらくなるし、何だか不衛生で不便だと感じた。そういう時は物事に優先順位をつけることにしているのだが、どちらの方が最悪かを考えた時、やはり物が溜まることの方が最悪であると直感した。

優先順位をつけることができたのなら、それぞれに細かいルールを作っていく。物が溜まっている状態が嫌いということについての理由は考えたが、なぜ物を捨てることが嫌いなのかについては考えていない。
なので、私は物を捨てるということについて考えてみた。

私が物を捨てることが嫌いなのであれば部屋のゴミ箱にゴミが溢れているはずなのだが、そんなことはなかった。つまり、ゴミを捨てる行為。必要のない物を捨てることは当たり前だと考えているということになる。
私が最近ゴミを片付けていてストレスを感じたのは、祖母や母が買ってきた、または貰ってきた食べ物で賞味期限が切れていたものを大量に捨てた時だった。自分が買っていない物を捨てている、また本人たちの頭に買ったという記憶がないことにもストレスを感じていた。しかし、ゴミは少しずつ捨てないと溜まっていく、それが何よりも嫌だった。

話は変わるが、先日親戚が亡くなりその家に行くと、故人の息子とその妻が遺品整理を行なっていた。廊下には大量にゴミ袋が並べられており、しかしそれでもまだ半分も終わっていないと、本人たちが言っていた。私はそれを見ていてとても楽しそうだと思った。故人の私物は全てがゴミであるから、許可を貰わずに捨てることができるし、万が一自分が興味のあるものを見つけたら宝物探しのように楽しむこともできる。
私の祖父母もいつか必ず死ぬだろうから、その時は私が率先してゴミを片付けようと思っている。家を散らかしたまま死んでほしくはないし、家を散らかさなくても死んでほしくはないが、整理をして死ぬような寂しい人たちではないので、きっと私の出番が来るだろうと思っている。
主に祖母が物を片付けない人だから祖母が死んだらとても忙しくなりそうだ。棚の中や床に散らばった物、全てを一旦庭に出して、綺麗になった部屋を生きている人たちに掃除してもらい、その間に私がゴミとそうでない物の分類をする。
想像するだけで気分が上がってくるのはなぜだろうか。

話は戻り、解毒について触れていこうと思う。
私が物を捨てる時にストレスを感じるのは主に食料品だという話をした。そして困ったことに買った本人たちは買ったという記憶がない。だから、賞味期限が切れていなくてもきっと使われずに捨てられるだろうと私は考えている。だから私が処理をしなくてはならなかった。賞味期限が一日でも切れていれば捨ててもいいという気になるが、そうでないのなら私が使用するしかない。無駄なことが嫌いだから、期限が切れるまで待つということもしない。
私はそれを解毒だと思った。人の体は少量の毒であれば消化できるから、毎日一定の毒を体内に入れる。自分が買っていない、興味のないものを体に取り込んでいく。私の行為は誰かの無駄を必要なことに変換する行為だと思っている。そして、だから今日も毒を摂取する。

 

 


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Posted by yuuya yamaguchi