帰り道のおじさんはだれ

小学生の時、徒歩通学だった私は毎朝決まった場所に集合して他の小学生と列を作って学校へと向かっていた。私の家から一番近い友達の家までの距離は1キロほどあったから、そこまで車で送ってもらい、帰りも同じように車に乗り家へと帰った。迎えが遅れることが多く、その時は先に歩いて家の方へ向かった。そのまま家に着くこともあったし、途中で拾ってもらえることもあった。今思えば1キロほど歩けば家に着くのだから迎えなどいらないと思うのだが、小学校低学年の私は体が周りよりも小さかったから、ランドセルは周り人よりも重く感じたに違いない。だから、迎えが来るのをしゃがんで待つという時もあった。
あの時はいつものようにしゃがんで待っていたのだがいつまで経っても迎えは来なかったので、諦めてそのまま歩くことにした。ランドセルの重みで肩が痛むのでジャンプをして一瞬だけ肩からランドセルを浮かせたりしていた。迎えに来ることが当然だと思っていた私は文句を呟きながら歩き、足裏に痛みを感じ、泣きたくなるのを我慢しながら家へと歩いていた。当時の私は自分でも驚くほど泣き虫だったが、誰もいないところで泣いたことはなかった。
後ろから車が近づいてきた。私のすぐ横を徐行し、助手席の窓が開くと、おじさんが身を乗り出しながら私に笑顔を見せてきた。
「乗りな、乗せてくよ」
私はそのおじさんのことを知らなかったが、足が痛かったのでその言葉がとても優しく、それに従うことが正しいように思えていた。おじさんは前歯が出ていて、顔が少し赤く、頬に大きなホクロがあった。私が歩く帰り道はほとんど一直線だから、道案内もする必要がない。おじさんが運転席に乗ったまま、助手席のドアを開けてくれたのでそのまま乗ろうと足を乗せた。しかし、私は車がひどく汚いことに気づいた。私は急激にその車に乗りたいという気持ちが失せ、「やっぱりいい」と口にした。おじさんは「いいよ、乗りな、気にしないで」と繰り返していた。私は汚いとは言わずに「あるいていく」と言い、それを何度か繰り返した。おじさんの顔から段々と笑顔が消えていき、呆れたような顔になった。私はそのまま車から離れると、おじさんはそのまま走り去っていった。
今考えると小学生の先生が言っていたように「知らない人にはついていかない」に従っているように思えるが、あの人が、もしかしたら私の近所の人だったのかもしれないと考えることもあった。顔を覚えていないから確かめようがないのだが、もしかしたら誘拐されていたかもしれない。という危機感よりも、近所の子供に不審者扱いされて傷つけたかもしれないと、考えることもあった。
だが、私はそもそも汚い車に乗りたくないと、純粋に考えていたわけであるから、先生の言いつけを守ったわけではないし、不審者扱いしたわけでもなかったのかもしれないと思った。
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