第四十一回 個人的な今週のエッセイ R7.01/19-R7.01/26

ブログ活動

 

お品書き

 

「好き」を伝えるには

今週読んだ本は、「好き」を言語化するという本だ。
この本は「推しについて語りたいのに、どうしていいのか分からない」
「そもそも、推しを語るって何?」という疑問を解消してくれるなど、
「好き」を言語化したい人のための本である。

その中でも、面白いと思った部分を紹介していこうと思う。

映画などを見終わった時、口に出して感想を語りたくなることはないだろうか?私のようにオタク気質の人であれば、共感しやすいと思う。
隣にいる人とあのシーンを語りたい! あのキャラクターについて語りたい。といったことだ。

では、それを伝えたいとして、それを相手にどうやって伝えればいいのか?
同じものを見ていた人なら、いきなりでも通じるかもしれないが、必ずしもそうやって都合のいい人がいるとは限らない。

まず、確認することは、自分が好きなもの(語りたいこと)に対して、相手はどういった印象を持っているかということだ。
自分が好きだとしても、相手もそうとは、限らない。理解の程度も違えば、印象も違うのだ。
そういったものを本書では、「情報格差」と紹介されている。
つまり、「好き」を伝える前に、その認識を定義しなければ、「好き」が相手に伝わらない。共感してもらえないということになるのだ。

例えば、スターウォーズを見たことがない人に、ヨーダやダースベーダーといった登場人物の名前を出したところで、相手が分かるはずがない。
名前を覚えたとしても、映画でのキャラの言動、行動を相手は知らないので、どんなキャラで、どんな過去を背負っているのかなども、知らない状態であるのだ。
それを知った上で、自分が本当にその話をしたいのであれば、簡潔に情報を伝える必要がある。
「ヨーダっていうのは……で、……っていう出来事があって、……になるんだ」

そして、もうひとつ大切なのは、自分の感動を言葉にする時にやっていけないことがあるということである。

それは、他の人の感想を見てしまうことだ。
他の人がどんな評価をつけたかを気にしてしまうことで、その評価に気に流されてしまう。結果、自分の感想が他人の感想になってしまうのだ。
大切なのは、正しい評価をつけるのではなくて、自分らしい評価、自分だけの着眼を持つことであるため、自分と相手を分ける必要があるのだ。

なぜ、私が「好き」に対して、こだわるのか。
それは、好きというのが、何か特別な力を帯びていると思っているからだ。
この世界に誕生し、何をしていいのか分からない。
そうなった時、自分の好きなことが目印になると思っている。
どうせなら、満足した人生を送りたい、満足した人生を送れるように自分の好きなことに自信を持つべきだと思っているのだ。

そして、自分の「好き」が相手に伝わった時、相手が自分の影響を受ける時ほど、面白いものはない。

人類の歴史というのは、遺伝子と影響が過去から続いているもの。

最終的に満足したか、どうかを決めるのは他人ではなくて、自分だから他人の評価なんてどうでもいいと思う。もちろん、客観性は大切だが。

 

 

脳を殺す言葉

書籍紹介の続きで、もう一つ面白いと思ったことがある。
それは、「脳を殺す言葉」についてである。

つい「やばい」や「泣けた」だけで、表現をやめていないだろうか?

それは、かなりもったいないことだと思う。
自分の心を動かしたもの、その力を無視していることであるから、自己分析の場を自らの手で奪っているのだ。
確かにやばいかもしれないし、泣けたかもしれない。が、どうせなら、言語化してみよう。

今までの自分の中にあった抽象的な違和感に名前がつき、モヤモヤが解消される解放感を味わうことができる。

中には、小説などで言語化することが、もったいないモヤモヤというものにもであることができる。

一目惚れを運命的に見るのか、それとも科学的に見るのか。
ロマンチックな人間は、あえて、言葉で示さないという妙技を使う。

昔の人も「いとおかし」という便利な言葉を使っていたらしい。

とりあえず、「やばい」を1週間禁止でいきましょう。

 

 

ナルシシストは好きですか?

関わってはいけない人間の特徴として、「ダークトライアド」というものがある。サイコパス、マキャベリスト、そしてナルシストのことだ。
誰にでもそういった特性が少なからずあると思うのだが、関わってはいけない理由は恐らく、人生を振り回されるとか、そう言ったものではないかと思う。

私の知り合いでも面白い人がいた。
自信家で、徹底的にポジティブ、そして、ギャンブルにハマっている人物だった。そういう人は見ている分にはとても面白いので、個人的には好きだが、深い関係になった時に恐らく、幻滅するのではないかと思う。

今回はナルシシストについてだが、欠点を挙げるとすると、背筋が寒くなる言動、(それがネタなのか、実際に思っていることなのかが分からないが)が圧倒的な欠点だと思う。私はそれ以外の欠点を知らない。

逆に私から見た長所は、それ以上に大きい。全面的なポジティブさと、圧倒的カリスマ性、そして、言葉以上の行動力だろうか?
努力家を見ていると、人生や夢に真剣なところに涙が出そうなくらい感動してしまう。たとえ、他人だとしても、地球上でただただ、前を向き、ひたむきに努力している姿がとてつもなくかっこいいのだ。

ナルシシストと聞いて、「自分のことをかっこいいと思っている人」という印象があるかもしれないが、私が出会ったそういう人たちは、ギャグセンスが異常なほど高く、そして口だけの人間ではなかった。

行動せずに口だけを動かしている人を見ていると、私は自分の中の「ダメ人間リスト」に追加し、ほとんど信用せずにその人との時間を過ごす、そして、関係が終わった時に一緒に忘れるのだ。

どうせなら、かっこいいやつといたい、自分にも熱が伝わってくるから。

 

 

無神論者の損切り

高校の時、政治経済の担当教師が、投資の話をしていた。
内容は忘れたが、任天堂の株を買って、大損をしたということだったと思う。
私が、投資について興味を持ったのは、その時が初めてだった。自分で稼ぐことができるようになったら、勉強をして、投資をしてみよう! FXなんかもやってみたい! などと思っていたことを覚えている。

実際に社会に出てみると、情報は誰かが教えてくれるわけではないので、自分で探していかなくてはならないということに気が付く。何かで見た情報で「本を読みまくれ」という言葉があった。その言葉を信じて本を読んでいたのを覚えている。

お金について、学ぶとFXが怖いことだと知り、確定申告でバレたりしたら、嫌だなとか、そんな適当な理由をつけて、無視しようとしていたんだと思う。

ただ、食わず嫌いは良くないと思い、去年、口座を作り、今年に入ってから実際にやってみることにした。

全くのゼロ知識でも、勝つ確率は2分の1であるのだが、FXでは、チャート分析や、そして、最も重要な「損切り」というのが、鍵になってくる。

予想とマイナス方向へ動いた時、私たちは「戻ってこい!」と心のどこかでお祈りをしてしまう。自分で予想をして、そこにお金をかけたのに、マイナスになったことを運が悪かった。と、思ってしまう。
プラスにいけば、「まだ、伸びるだろう」と根拠のない確信を持ち、なかなか利益を確定できず、今度はマイナスになると、「戻ってくるだろう」と考える。そして、マイナスが大きくなればなるほど、「戻ってこい! 来てくれ!」と今度は、お祈りをし始めるのだ。

神様を信じていないのに、都合のいい時だけ、お祈りをする。
そして、負けたら運が悪いと考える。

自分が負けたのは、100%自分が悪いし、自分の予想が外れた時点で破綻している。「運が悪かったと、失敗を認めない。それは、敗者の思考だと、断言する」何事でも。

原因があって、結果が訪れる。

それが絶対的な法則であり、それに当てはめて考えるのが利口だと思う。

 

 

ウサギの寿命

最近のうさぎは寿命が10年ほどらしい。中には、長く生きているうさぎで15年も生きている個体もいるそうだ。

私は、動物への情が人間よりもあるので、ペットを一人にしたくないと思っている。うさぎ部屋を出る時、扉の前で寂しそうな表情をしているうさぎを見ると、心が少し締め付けられる。
1日のほとんどの時間を一人で過ごしているうさぎというのが、なんだか可哀想で、一緒にいる時はなるべく撫でてあげるようにしている。
そうすると、喜んで、目を細めて、ぷうぷうと鳴くのだ。

人間の寿命の10分の1がうさぎの寿命だとすると、人間の10倍の速度で人生を過ごしているようなものなのだろうかと思った。

時間は平等に流れているかもしれないが、物音ひとつしない、無機質な部屋に閉じ込まれらているうさぎが、仮に人間であれば、間違いなく発狂しているのではないかと、いつも考えている。

一緒にいる時に精一杯可愛がればいい。
答えが出ているのに、こうやって気持ちを書かないと気が済まないということは、何か、納得できない違和感があるということだろう。

飼い主は、ペットの命に、いったいどの程度、自分の時間を割くのが理想なのか、生き物である以上、第一に考えるべきだが、分からない。

飼い主というのは、人間のように代わりがきかないから。

 

 


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