食べた本 村田沙耶香 『授乳』 感想

こんにちはゆうらいふです。
今回は、村田沙耶香さんの『授乳』の感想を書いていきたいと思います。
村田沙耶香さんの作品で最初に読んだのが『生命式』次に『コンビニ人間』そして3番目に読んだ作品が『授乳』になります。
当時、本屋に行けば真っ先に『む行』を探し、必ず彼女の名前を見つけてから店を回るといったルーティンがあるほど、彼女の作品を信仰していました。
『授乳』は、2年ほど前に一度読みました。
感想を記録しながら本を読むと、再読した時と捉え方が変わることがありますので、久しぶりにこの本を読んでいこうかなと思います。
成長を実感するには、好きな本と向き合うことが一番です。
今回は、感想なので、『授乳』を読んだことがない人は短い作品なので、ぜひ手に取って読んでみてください。
そして、ぜひ村田沙耶香さんの世界観に溺れてください。
『授乳』の印象
この本を読もうと思ったきっかけは、芥川賞を受賞したという帯を見たからではありません。
『村田沙耶香』というブランドに取り憑かれていたからです。
恐らく、彼女の名前が書かれていなければ手に取ることはしなかったと思います。
『授乳』の感想
私が『授乳』というタイトルから連想したのは、温かみや母性といったものです。
ですが、実際に読むと、思春期の女の子が抱く、母への苛立たしさについての表現が多いことに驚き、恐ろしく感じられた女の子の感情に共感している自分がいました。
母が母に見える分、母は母でない部分を捨てていくのだと思います。
いずれは、そんな部分など元々なかったかのように、そこに平然と存在しているように感じました。
家族を考えた時に、学校や職場と同じような集合体の一部だと感じました。
学校での自分、職場での自分、家族の前での自分。
父や母が私たちの知らない顔を持っているのは、当然のことで、その顔をいくつも使い分けることで、自分の居場所を作っているのではないかと思います。
この話に出てくる母は、母親を完璧に演じているように見えました。
父が散らかした下着類を丁寧に畳み直し、酔っ払った父が帰ってきた際も命令口調で指図された母は、顔色を変えずに“完璧な妻”を演じました。
ゴミは丁寧に畳みゴミ箱へ捨て、料理も決まった分量で作り、母が関わるものは作品そのものでした。
母は、単に家族を演じているだけではないのかと感じました。
清潔なおにぎり
私は、母のおにぎりの作り方が普通だと思っていた。
タッパーにラップを敷き、そこにご飯を敷き詰め、ラップで覆う。そして出来上がった四角い塊を包丁で切ると、綺麗な二等辺三角形ができる。
二等辺三角形になったご飯の塊からスプーンでご飯を掬うとゴミ箱へ捨てる。
開いた穴に具を詰めると、綺麗に切られた海苔で巻いて完成だ。
工作じみた手料理
料理を作る時は、同じ分量を計量し、端数は迷わずゴミ箱へと捨てる。
母の味は、いつも同じでそれは簡単な料理であっても変わらなかった。
計量された調味料からは、母親の味はせず、理科室での実験を思い浮かべた。
母は、自分を押し殺し、夫や娘と暮らしています。
自分を少しずつ殺しながら生きることで、潔癖さを守っているのかもしれません。
『授乳』母
この作品で村田沙耶香さんは、自身の分身を母と“わたし”に注ぎ込んだように感じました。
村田さんの作った登場人物は、理屈的な人物が多いです。
母の完璧さは、母が意識して作った極端さであり、それは自分を守るためだと思います。
父に見せる妻の顔、娘に見せる母の顔、あるいは生徒の親という顔。
それぞれに共通しているのは文句を言わずに自分に嘘を被せていることです。
『授乳』わたし
潔癖な母に育てられた“わたし”は思春期になり、母性に目覚めていきます。
先生は愛情を受けなかったといったことを知り、その気持ちが強まります。
そして、愛情に関しても母への苛立ちは、理屈的な“わたし”にとっては意味が分からないもので、理解しようとしていたのだと思います。
愛情という形は、母の作ったおにぎりのように不気味なほど綺麗な形をしていても、実際は中身のない偽物だったと考えるようになったのかもしれません。
母が“わたし”を守った時に“わたし”の中にも娘というものが発生し、母と同じように役を演じたのだと思います。
母を演じた時に芽生えた何かが、娘を演じそれを自覚することになります。
最後に母を踏む場面では、“わたし”を守ってくれた母の背中というものが、急に偽物のように見え、母の中にも母があること確認したいという欲求が、母を踏み体重を乗せていくという場面に繋がったのかと思います。
『授乳』先生
“わたし”が愛情へ疑問を感じたのだとすれば、先生は愛情すら知らなかった存在です。自傷し、親の関心を向けようとする子供のように
ですが、その傷に気がついたのは“わたし”だけでした。
母性に目覚めた“わたし”と母性に出会った先生は偶然にもその感情を共有してしまいます。
『授乳』まとめ
この本を読んで感じたことは、母性や愛情というものを授乳という行動で示した“わたし”の心の変化のように感じました。
他人のような家族もいれば、深い感動を共有した他人もいます。
思春期になり、理屈的になった“わたし”が自分の内側に見つけた母性を自分なりに表現したのだと思いました。
唐突に部屋に現れた蛾に驚くも、それを握り潰す場面があります。
家庭教師の先生は、“わたし”にとっては、蛾のような存在だったのかもしれません。
おわり
今考えていることを書きましたが、まだ違和感を感じているので何度か読み返すつもりです。
私が求めるのは、村田沙耶香さんの世界で呼吸をすることです。
それは、新しい世界に誕生した生命が産声をあげるようなものです。
皆さんもこちら側に来てみませんか?
ここまで読んでいただきありがとうございます。
また、別の記事でお会いしましょう。
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