頭蓋骨

先週のニュースだか、今週のニュースだったか覚えていないのだが、興味深いニュースがあった。
そのニュースは、ある男が女性を殺害した。というよくある報道から始まり、その後その男が女性の白骨化した頭蓋骨を自宅の棚に飾っていたと続いた。私は耳にそのニュースが入った時、一瞬理解ができなかった。人を殺す動機を考えると、恨みであったり、興味や怒りなどで説明がつくが、棚に飾るために人を殺したというように聞こえたからだ。それは、好きな女を殺して、その女の頭蓋骨を飾ったのか、それとも殺す相手は誰でもよくて、頭蓋骨に興味があったのか。想像を膨らませることはできたが、男の輪郭を捉えることは難しいことだった。
「昔から、人を殺すことに興味があった」
男が持っていたのは、私たちが好きなものを食べたり、好きな服を着たりすることと同じで、ただの欲求だった。ただ、一般的な人間はほとんどが考えない殺人、考えてはならないとされている殺人だったというだけでだ。根本的な欲求は同じなのかもしれない。殺人をしたいという興味だけで犯行をしてしまう人間は、生まれる時代が少し前であれば幸せになれたかもしれないと思う。繰り返すが、人を殺したいと思うことは飯を食べたいと思うことを同じであると感じる。たまたま私たちが後者であり、一部の人間が前者であったという違いに過ぎないと思う。
人を殺したいという欲求を抱いているとして、その欲求を発散させるか、溜め込むかでその人の人生が大きく変わってくるだろう。人生が自分のためにあり、最高の瞬間を味わうために生きているといったニーチェのような思想であれば人を殺すことこそがその人の人生で最も輝く部分にあたるのかもしれない。
私がその立場であれば自分がその後、どうなるかを知った上での発散であるため開放感を感じているかもしれない。
どちらがいいのかというのは、もちろん人は殺さない方がいいのであるが、自分の欲を発散させずに人生を終えるのもそれはそれで悲しいような気がする。他の人のために自分を犠牲にするというのは私が嫌いな考え方だ。だから、興味で人を殺した人というのは人生で一度だけわがままを聞いてもらえたというようなものかもしれない。
殺したい人がいるように殺されたい人というのもどこかにいると思う。そこで市場のようなものができればいいのだが、生の鎖というのは複雑に絡み合ってるからそんな簡単な話ではないのだろう。
ああ、むず痒い。
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