どのような恐怖をどのように克服しましたか ?

私は小さい頃、死ぬことが怖いものだと思っていました。
自分の中で、死を拒絶していたわけではなく、葬式で身内が亡くなってもそれは、ただの結果だと考えていました。
私が、死を怖いものだと思っていたのは、そう刷り込まれていただけです。
テレビや、人の話を聞き、死を悪いことだと思わされていたのです。
実際に死を怖いものだとしているのは、生きている人であり、死は、ただの状態に過ぎません。
死への恐怖が消えると、手段としての死を考えるようになってしまいました。
私にとっては、死ねと言われるよりも生きろと言われることの方が辛い気がします。
死ぬことは、この世の問題からの解放です。
生きることは、積み重なる問題を解くことに奮闘し、成長を味わうことかもしれませんし、ただ、娯楽を味わうだけかもしれません。
いつでも死ぬことができる環境に私たちは生きています。
交通事故や病気もそうですが、何よりも家の中に刃物や縄があるだけで選択のうちに入ってしまいます。
私が怖いのは、人生は味気ないものだと感じ、どうでもいいと感じてしまう自分です。
私一人が、世界から消えても何も変わりませんし、私が残っていたとしても何も変わらないでしょう。
快楽に溺れるくらいだったら死んだ方がましだと私は思ってしまう性格です。
ですが、こうも考えられます。
いつでも死ねるのであれば、今でなくてもいい。
目の前で、私が嫌う物事が起こるたびに弾丸をこめ、衝動が引き金を引きたくなることがなん度もありました。
ですが、本を読むと、楽になれます。
時間を気にしている人間が、他人に愚痴をいい時間を無駄にしていること
行動を起こそうとしない口先だけの人間
他人を思いやらない人間
そういった、矛盾を解決したいものを我慢するのは、大変です。
なので、相手の気持ちを考えるようになりました。
好きは、正義と考えるようになりました。
相手は、愚痴を言うのが好き。
口先で夢を語るのが好き。
そういって、考えると矛盾を解消しようと躍起になる必要がなくなります。
ですが、他人に対して思うことは、自分にも帰ってきます。
自分が下らないと思うことと同じ場所に立ちたくないと本気で思っていると、その通りの行動をとってしまいます。
仲間になりたくないと考えてしまうからでしょうか。
まとめます。
死ぬことはいつでもできるので、私にとっては価値が低いものになります。
そして、生きることは、望んでいても満足にできない人間も存在します。
だったら、健康になってから死ねばいい、やることを、夢を叶えてから死ねばいいと考えるようになりました。
日本では自殺者が多いですね。
死ぬことについてもう一度考えてみてもいいかもしれません。
確かに、解決はできますし、相手を殺すことよりも自分が死んだ方が手っ取り早いです。ですが、両手を拘束され、口の中に詰め物をされない限りは、誰であろうと自殺できます。
車に乗っているのであれば、思い切りアクセルを踏み、誰もいないところに突っ込めばいい。
高いところから飛び降りればいい。
ナイフや、薬、縄など身近にいろんなものがあるでしょう。
でも、もったいないですね。
いつでもできるのであれば、今する必要はない。
夢があるならそれを叶えてからもう一度死を考えればいい。
周りの人間に対して、嫌悪感を抱くなら、それがなくなるまで、本を読み解釈を磨けばいい。
そんなことを考えると、死は危険な物ではなくて、日常を刺激的なものに変えるきっかけのようにも感じませんか?
この記事を読んで、同じ考えを持っていると人は、少数派の人だと思います。
生きているのが、辛いと感じる人が多いでしょう。
ですが、この記事で紹介した通り、死ぬ前にやりたいことやってから考え直してみましょう。
そうすれば、何か見つかるかもしれません。
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