第五十六回 個人的な今週のエッセイ R7.05/04-R7.05/11

ブログ活動

 

 

お品書き

 

 

金ロー

今週の金曜ロードショーは「紅の豚」で、先週に続いてジブリ作品が放送されていた。ジブリはDVDか、金ローくらいでしか観ることができないので私にとっては貴重な栄養補給になっている。「紅の豚」を観たのはしばらく前になるので、ほとんど内容は覚えていなかった。その分、新鮮な気持ちで作品を観ることができた。

話は変わるが、岡田斗司夫が「葬送のフリーレン」を紹介していて実際に観たの時にあるシーンに既視感を感じた。それは私のお気に入りのシーンなので少し書いていく。
「葬送のフリーレン」は魔法使いが出てくる異世界の話なのだが、主人公たちは魔法使いの資格が必要になり、その資格を取るための試験を受けにいく。試練の内容は鳥を捕まえるというもので、その鳥は魔力を察知すると逃げてしまう厄介な鳥だった。試験を受けに来た魔法使いたちでランダムな3人のチームを組み、制限時間までに鳥を持っている状態でいなければならない。
試験の終盤、デンケンというキャラクターが主人公たちのチームに敗れ、魔力はほとんど残っておらず、鳥もいないという状況に陥っていた。このままでは試験に落ちてしまう。デンケンは歳をとってはいたが、最後まで諦めてはいなかった。最後に彼が選んだのは、『男同士の殴り合い』だった。鳥を制限数持っていないチームの前に行くとローブを脱ぎ、拳を固めた。「殴り合いじゃあぁぁぁぁ」

「紅の豚」の終盤、飛行機の弾が出なくなったポルコとカーチスは殴り合いを始める。最後まで立っていた方が勝者だ。
「葬送のフリーレン」に出てきた魔法使いが殴り合いをするという展開は、「紅の豚」に影響を受けているのではと思う。私の記憶に残っているお気に入りのシーンだ。

ジブリの作曲を担当している久石譲のマッドネスという曲があった。私はその曲がどの映画に使われているのかが分からなかったが、サマーのようにジブリ映画のものではないと思っていた。「紅の豚」を観ている時に聞きなれた曲が耳に入った。それがマッドネスだった。壊れた飛行機を修理している時、秘密警察に居場所を突き止められてしまう。もう狭い水路から飛び立つしかなかった。ポルコの圧倒的な飛行技術で障害物を避けていくかっこよさと、余裕さが、マッドネスに感じられた。

来週は「ミッションインポッシブル」だったと思う。

 

親戚イベ

昔、親戚で集まることがあまり好きではなかった。人がいるところにいると疲れてしまう。何かを話そうという気にもならず、ただその時間が終わるのを待っていた。幸い、年が近い従兄弟がいたので苦痛の時間が楽しいものへと変わっていた。
親戚が集まるというよりも、人が集まることが私は嫌いだった。4人以上集まると、グループが一つではなくて二つに分かれてしまう。話題がグループの数だけ分裂し、人が集まっているだけでその人たちが集まる理由が欠けていくような気がするのだ。私は会話を重視しているからかもしれない。皆が話せるような話題をすればいいのだが、私はそういったものが苦手だった。
親戚イベについて考えることがあるのだが、食事をしたり、仕事をしたりするというのは、繋がりを感じられる、いいイベントではないかということだ。繋がりがなければ、私は犯罪者になっていたかもしれない。そう考えることもあるからだ。家族を困らせてはいけないということは抑止力になるし、大切な人ができるというのも抑止力になっていく。自分一人の責任で済むと考えるから、命が軽く感じ、終わらせたいと思うようになる。

犯罪者になる人はその抑止力が弱まっているのではないかと思う。中には例外もいるだろうが、親戚イベを挟むことによってその抑止力を強化することもできるのではないだろうか。

次の親戚イベはなんだろう。

 

 

グンマー帝国の秘境

世界遺産の富岡製糸場へ行った。前から行きたいと思っていた場所で、展示品から当時の勤務形態や、工場の効率化などを目にすることができた。実際に養蚕をしている様子なんかも見ることができ、とても貴重な経験だった。

富岡製糸場を一通り見終わった私たちは、心を決めた。
「じゃあ、いくか」
昼に蕎麦を食べている時、作戦会議をしていた。
「どうする? 富岡製糸場の後、どこか行きたいとこある? 多分時間余るよね」
「こんにゃくパークなんかも近くにあるけど」
「んーん、ん、なんだこれ」
Googleマップを見ていると、近くに面白そうな場所を見つけた。
「ここなんかどう?」

富岡製糸場を離れ、車を20分ほど走らせていると、明らかにおかしな場所があった。『アダルト保育園』それが私たちが選んだ場所だった。その場所を見た後、あまりにも衝撃的で私は言葉が出なかった。考える機能を麻痺させられたような、そんな感じになった。

その場所の印象的なものを箇条書きにする。
・壇蜜と密談中と書かれた。壇蜜の部屋
・昔のセクシーな雑誌や写真
・人形がところどころに置かれている。
・麻雀の牌が砂利道に敷かれている。
・ち○こタワーと書かれたオブジェ
・「女性ヌードに興味の無い男は病気ですからすぐに「病院」へ行って下さい!」の看板
・それらは近所に住むご老体が作ったものであること。

Googleマップで見た時、なんとなく面白そうだと思い向かったのだが、その場所にはオーラが流れていた。異常な雰囲気が漂っていた。面白さを感じて向かったはずなのに、私は正直引いていた。性についてあまりにもオープンである様子を見て、多様性という言葉が霞んだ。

衝撃を受けたい人どうぞ

 

 

連作障害

畑に野菜を育てることは簡単なことだと思っていた。肥料をし、虫除けをし、雑草を管理すれば農作物は育つのだろうと思っていた。連作障害というものを知り、野菜の奥深さを知ることになった。

連作障害というのは、野菜を同じ場所で作ることで育ちが悪くなったり、虫が湧きやすくなったりするものである。野菜によって個体差があるのだが、通常1、2年で場所を変えなければならないらしい。
それは野菜が必要とする栄養素と放出する毒素に関係がある。野菜によって必要な栄養素が異なるのだが、特定の栄養素だけが土壌から失われ、野菜の毒素が土壌に入ることで、畑のバランスが壊れてしまうことが原因になっているらしい。
大抵、害虫も野菜ごとに決まっているので、特定の害虫を呼び起こしやすくなってしまうらしいのだ。

私はこの話を聞いてとても興味深く感じた。
つまり、野菜には相性があるということで相性のいい野菜同士を近くにしたり、相性が悪いものを近づけないというルールができるということだ。ルールができれば、畑の区画は合理的に考えることができるのではないか。そんなことを考えていると、白紙に線が引かれた様な心地よさを感じた。

野菜に相性があるのだから、人間にも相性があって当然のことだ。
無理に仲良しごっこをすれば、軋轢が周囲へ影響を及ぼしてしまうのだ。

人の性格は野菜にも現れるのかもしれない。MBTIのように。
個人的にスイカは内向的なものだと思っている。

ちなみにトマトは、ネギと相性がいいらしく。
ナスはかぼちゃなどと相性がいいらしい。

野菜にはコンパニオンプランツというものがあるので、それを調べれば虫を予防しあったり、栄養管理なども行うことができる。
奥が深い。

 

 

終わりに

小説の様な文章と、紹介のような文章。文章の形が変わると、自由さというか表現というか、それに限界を感じてしまう。せめて読みやすい文章を目指していても、実際にどうなのかは分からない。本に文章に触れて、文章を書いて、それを繰り返していくしかない。カフェにでも行ってくるか。

 

 


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