週末の唄 第十三回 個人的な今週のエッセイ R6.7/7-7/14

ブログ活動

今週も個人的な今週のエッセイを書いていきたいと思います。

久しぶりに心の叫びというものをやりました。
ただ、ノートに書き殴るだけですが、結構気に入っています。

では、始めていきますので、どうぞ

 

お品書き

死ぬことから遠ざかる

私は、昔から変わった本や映画が好きだ。
理由は単純で、イカれている作品に魅力を感じるからだ。
普通の作品で満足できないというのは、普通でない刺激を待ち焦がれているからだろう。

私は、人間は、常に死と隣り合わせで生きていると思っている。
一呼吸置いたら、死にたくなっているかもしれないし、目の前にいる人間を殺しているかもしれない。
そんな衝動の連続の中で、人によって違ったきき具合のブレーキを踏んでいるのだと思う。

このことに共感できないということは、当たりの遺伝子を持って生まれたのかもしれないし、考えたことがないのかもしれない。
私のような人間は、大半の人が考えもしないことで、悩むのだ。

私は、日本の自殺率の高さを異常だと思っている。
何か解決方法が、あるのではないかと考えることも多い。

フィンランドで発祥したサウナが、メンタルにとてつもない影響を与えるということを今では、多くの人が知っている。
だが、もっと根本的な予防策が必要だろう。

多くに人は、生を肯定し、死を否定する。
私は、それが気に食わなかったので、死を肯定する。

死ぬこと、後がない状態というのは、かなりのエネルギーを秘めている。
それは諸刃の剣であることに変わりはない、希死念慮が襲ったとしてもそれから逃れ続けることは、かなりのエネルギーを用いる。

解釈を変えるしかない。

死ぬまでに何かを絶対に叶える。
そういった自分の芸術を作るような目標を立てるしかない。

ようは、目標を立てることで死ぬまでの時間稼ぎを行うということだ。

何か病気に罹っていて、手術の確率が低いとする。
だったら、医療が発達し、少しでも成功率が上がるまで待った方がいい。

もちろん、猶予があればの話だが、1ヶ月後に手術で死ぬよりは、数年間の時間稼ぎをしながら手術の成功率が上がれば、少なくとも時間をリスクを抑えることができる。

そして、私にとっての時間稼ぎは、頭のおかしい作家のイかれた作品に触れるということだ。
ちなみに頭がおかしいというのは、褒め言葉として使っている。
誰も想像もしないことを考えるという頭のおかしさは、天才性とも言えるだろう。

時間稼ぎをしていると、時間がかかり、仮に過去の作品を見たとしても、現在進行形で新しい作品がどんどんと生まれてくる。

私は、世俗的なことには興味が湧かないので、時間稼ぎが終わるか、作品を見た時に脳が痺れなくなった時が、その暇潰しが終わる時かもしれない。

 

家族教

血の繋がってる家族と血の繋がっていない他人

私は、家族という関わりが宗教のように見えている。
そして、私はその中で、洗脳されていない一員だ。

洗脳されていない人というのは、不都合なのだ。
社会に洗脳されている人というのは、何も考えずに脳死で生きることが苦ではないのかもしれないが、脳死というものに違和感を感じてしまうと、全てのものに過剰反応してしまう。

どうでもいいことを考え、異なった価値観の人の行動に疑問を浮かべる。

金を効率よく稼ぐための組織である企業や、何か任務を遂行する部隊だったり、何か組織全体の目的があれば、楽かもしれないが、家族というものは、そういったものがないから困る。

かといって、仲良しごっこをするわけでもなく、適当な年代の人間が同じ屋根の下にいる、奇妙な空間が出来上がる。

もしも、効率を求めるのであれば、家族行事で詳細な計画を立てるし、それぞれの役割を認識させ、一つの効率的な企業を作る。
それぞれの財産も一箇所にまとめて、資産運用した方がいいのかもしれないと考える。

だが、所詮家族で、そんな理由は必要のないものだ。

何かの感情を共有したり、同じものを食べてきた人たち、感情を殺して生きている人もいるかもしれないし、生きる目的かもしれない。

家族教に洗脳されたいと願っている。
家族に関心を持っている人というのが、羨ましい。
嫌いでも、好きでもいい、どうしても無関心な自分が気になってしまう時がある。

 

期待と失望

人に期待すると、失望するという言葉をよく使っていた。

だから、過度に人に期待するなということなのだが、失望するということで相手に信用できないレッテルを貼ることもあまり好きではない。

少し考え事をしていた時に思ったのが、人生というものもこの期待と失望が大きく絡んでくるのではないかということだ。

過度に何かを期待して、失望したからこそ、自死する人間が絶えないのではないのか思う。

仏教では、自信を取り巻く、事象に対して中立的な立場を取り、自分の内側からの反応も打ち消してしまうようなことを聞いた。

そこら辺に落ちている石のようになることだと思う。
そうすれば、期待しないので、失望しないし、全ての事象を受け入れる器を手に入れることができる。

私も一時期、同じようなことを考えていた。
全ての物事には、良い面、悪い面があり、それらを客観視することに生きがいを感じていた。
主観で悪者を作ることがなくなるし、比較をすることも少なくなる。

美味しいそうなラーメンだと思って食べるから、味が微妙だった時にショックを受ける。

期待しなければ、そこまで大きな傷は受けない。
期待するから、大きな傷を受ける。

もちろん、期待をしないことで受ける影響もあるだろうが、少し痛くても死ぬよりはマシだろう。

 

痛み止めを信仰

痛み止めを信仰している人がいる。
あなたは、どうだろうか?

私も痛み止めを服用するが、たまには、その痛みを求めることもありだと思っている。
痛みは、生きていることを実感でき、感謝することができる。

流れ出る血液を止めようとするのは、それが死につながっているからであり、咄嗟的に、止血するというものも人間に刻まれた遺伝子のプログラムだ。

高い塀をギリギリで歩いたり、高い塔に登ってみたり、そういったことをすると、私は、生かされている実感を感じる。体が、勝手に恐怖を覚え、死ぬなないような行動をとるからだ。

痛みを楽しむ人、痛みを消す痛み止め、痛みを感じたくない人

大きな痛みを経験した時というのは、同じ経験をしないためにも人生に刻まれる。
そして、危険な行為を二度と繰り返さないために私たちは細心の注意を払う。

痛みが嫌だから痛み止めを飲んでもいい。
それが、常識かもしれない。
だが、痛みもそれほど、悪くない。

私が、1番やりたくないのは、痛みが怖くて何もできないという結末だ。
痛いのは、結局一瞬だ、割り切って、思い切り傷付こう。

ストレスにさらされると、人は強くなるから。

 

食事の値段

飲食店に行くと気になるのが、美味しそうな食べ物を食べるという単純なことなのに値段と相談するという葛藤が生まれるということだ。

行きつけの店であれば、目玉ではなくて、自分の好きなものを食べるかもしれないが、初めての店で値段を見ながら食事を選びたくない。

どうせ食べるのなら、いいものを食べたいし、腹が空いていないのであれば、食べたくない。

食に関心はないが、なぜか気に食わない。

食べたいものがあるのになぜ迷うのか?

お財布と相談するのではなくて、自分の気持ちを知るべきだと思ってしまう。

金で仕事を選ぶのか?それともといったことか。

値段で食品の価値を決めたくない、食べたいものを食べたい。
値段が高くても、まずいこともあると思う。
それが、人生だ。

 

二度、夢を見る

明け方が近くなり、中途半端な時間帯に夢をみる。
少しの覚醒、少しの選択で私たちは、二度寝を選ぶ。

続きを見たいという、願望で瞳を閉じ、中途半端に覚醒したせいで夢の世界に戻れないでいる。

どうやら、私たちは、ストーリーのないショート動画をショート動画にし、その映像を9回ほど夢の中で見るらしい。
起きる手前くらいで、その物語を切り抜き動画にし、勝手なストーリーを作り上げる。

ストーリーがあるように感じている夢というのは、全て自分が編集しているものなのだ。

最近、私の見る夢というのが、段々と色帯びて、鮮明になってきている。
現実なのかと思えるようなクオリティに二度寝への誘惑が起こる。

特に何が描きたいのかということはないのだが、夢が一つ終わったとしても、その続きを見ることはできる。

朝は早いぞ

 

花が咲く

生い茂った緑の中で、植物たちはどのようなことを考えているのか?

簡単なことだが、植物というのは光を求めている、他の植物よりも1センチでも高く背を伸ばし、太陽に近いた植物だけが、花を咲かすことができる。

成功したいと思っている人がいるとする。
どんな成功でも構わないが、植物のことを頭に思い浮かべて欲しい。

毎日、ひたすら、太陽を求め、上を目指していく、それが終わるのは、花を咲かすまでだろう。
植物には、そういったプログラムがされているのだ。

効率的に栄養を吸収したり、光を吸収したり、ほとんど自動的にほとんどの植物は上を目指している。

人も同じで、花を咲かせる、つまり、成功するためには、毎日手を伸ばし続けなければならない。

もちろん、その場所で花を咲かせることは難しいかもしれない。
だが、そんな時は、思い出してみて欲しい、環境を変えればいいのだ。

電柱の下には、アスファルトを突き破って咲いている花があるのだから。

 

脂ぎった指

子供の時に脂ぎった手で私物を触られることが嫌いだった。

ポテチを開け、人差し指と親指で中身を取り出し、口に運んでいく、その後、そのままの手で、ゲーム機やら本を触られる。

昔は、これがどうしても納得がいかなくて、内側に芽生える抵抗感のようなものを押し殺していた。
そのうち、その抵抗感にも慣れていき気にしている自分がおかしいのだと思っていた。

他の人は、皆、ベタベタの手で人のものを触り、それが普通なのだという反応をしている。

私は、気にするひと、潔癖な人、そんなとこだったと思うが、そのまま、口に出すことが怖く、自分が環境に慣れていく道を選んだ。

だから、相手がポテチを食う時に箸を使えば、箸を使うし、相手が素手でいけば、素手でいく。

後出しジャンケンというのは、都合がいい、相手がしたことを真似すれば、文句を言われることはない。

恐らく、私は、何かしらの精神疾患でも持っているかと思う。
日常生活でうまく隠せるので問題はないが、自己分析を行なっていると、自分の癖だったり、幼い頃の反発だったりの理由が考えられる。

小さい時に無意識にやっていたことを言語化すると、それが腑に落ちるのだ。

もちろん、それが全てではないのだが、自分を抑圧して消し去った癖を受け入れることも強さなのではないかと思う。

 

U-NEXT 1ヶ月お試し

U-NEXTの1ヶ月お試しというキャンペーンがあり、前回は4月に登録した。
昔好きだった『ハムナプトラ』という映画を見て、思い出に浸った後に解約手続きをしたのだが、その無料トライアル期間が復活していた。

なんてラッキーなんだと思った。

私は、前々から観たいと思っていた映画に目星をつけていたので、他のサブスクで観つからない映画を観ることができる。

『トレインスポッティング』『風と共に去りぬ』『ウィッカーマン』『ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ』

私は、映画ファンほど映画を知らないが、カルト的な人気を誇る年代ものの映画には、かなりの興味を抱いている。
長年語り継がれる映画特有の”癖”のようなものの虜になってしまう。

観たい映画を検索する時、私は、多くの時間を使っている。

頭の中にあるモヤモヤを具体化したような作品を求めている自分がいて、直感的にそれを探しているのだろう。

もしかしたら、今後もU-NEXTの1ヶ月無料キャンペーンを利用できるかもしれないので、ぜひおすすめだ。

解約を忘れなければ、無料で作品を見ることが出来る

『バッファロー66』前回のキャンペーンの一押し!

 

サブカルしたい

サブカルチャーというのは、ごく一部の人たちに支持されるものだ。

映画だったり、アニメだったり
映画の中でも、ジャンルが分かれるし、映画好きなのか、映画オタクでも、話題がずれてしまう。
好きなものをとことん極めるというオタク的な要素があると、仲間を見つけることが出来る。

自分の好きなものが明確だからだ。

自分が心地がいいと思う場所が、自分に適しているのかどうかが分からない人がいたら、足を踏み入れたことのないものや、普段は絶対にとらない行動をとってみるべきだと思う。

世間の人間は、流行りのものを好み、流行りの曲を聴き、旬が短いドラマの話をするのが、一般的だからだ。

別にそれもいいと思うが、そういった人たちの好きなものはコロコロと変わるので、当てにならない。

共通の好きな話題で盛り上がる仲間と、適当に同じ空間にいる友達は、全くの別物だ。
私は、どちらの関係も大切だと思う。
なので、共通の話題もなく、楽しくもないのに一緒にいる関係というのを早急に改善した方がいい。

少なくとも私は、時間の無駄だと思い、それよりかは、一人でいることを好む。

 


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