場所の味

私が小学生の頃、毎年、市のホールで演奏をする行事があった。その年は「ネバーエンディングストーリー」を演奏し、私たち以外にも他校の小学生たちがそれぞれ曲を演奏していた。私は他の人と何か一つのものを作るということが苦手だったため、演奏自体に興味を持ってはいなかった。自分がミスしなければいい、そんなふうに望んだコンクールだったが、コンクールの最後に演奏をしていた高校生たちの曲が今でも記憶に残っている。
「scootin’ of hardrock」その曲は退屈な演奏会の眠気を吹き飛ばしてくれた。
演奏前は、呼吸音さえ聞こえない防音された空間が広がっていた。そして、指揮者が空気を切るように棒を振ると、ひとつの空気の流れができたように見えた。流れるように振動する音がただ、心地よくて全ての音が噛み合わさり、生き物を動かしているように思えた。私はその曲を聴いて、衝撃を受けた。退屈だと思っていた吹奏楽が銃撃戦のような激しさを持っていることを知った。
そのホールへは行ったのは、数年前だった。コロナ禍で中止になるとされていた成人式は無事に開催された。偉い人の話を聞き、演奏者のピアノを聴き、集合写真を撮って終わった。高校を出てから地元を離れていたため、旧友との再会が懐かしかった。忘れていた自分の人格が呼び起こされたようで、久しぶりに会うというのに時間を感じなかった。ホールはガラス張りの巨大な球体で一際目立っていた。緩やかなスロープを下っていく時、あの昔、聞いた演奏が頭に流れてきた。
雨が降っていたため私は外へと出た。伸びた髪を切り、携帯でカフェを検索していると、あのホールにカフェができていた。私の住んでいる地域では小学校がカフェに改装されたりしていた。私の知るホールはどんな顔になっているのだろうか。興味を持った私は足を運んでみた。
ホールは、懐かしさを漂わせていた。ホールのスロープを見ると、その先にある重たい扉を押す感覚を思い出した。コンクールが始まる前のざわつきが聞こえてくる。私はルイボスティーを口へ運び、安部公房の「砂の女」を開いた。雨が降っている音が鳴っている。雨が水溜りに波紋を作っていた。真っ白だったはずの壁に黒い汚れが見えた。ガラスはところどころ輝きを失い、ぼやけていた。思い出が掠れていくような気がした。それでも、あの曲は今でも私の中に残っている。
そして私は、もう一度ルイボスティーを口へ運んだ。
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