どのようなことに情熱を注いでいますか ?

情熱らしきものが湧いて出た時は、それを大切にするようにしている。
なぜかというと、私にとって情熱は貴重なものだからだ。
年をとるにつれて、感覚が鈍っているような気がする。
苦手だったピーマンは、避けて食べることが面倒になり、いつしか苦手ではなくなっていた。
勝ち負けにこだわらなくなり、喧嘩するのも面倒だというだけで、避けるようになる。
勝ち負けにこだわらないのは、勝っても負けても、楽しめなければ意味がないと思っているからであり、喧嘩を面倒だと思うのは、喧嘩をする相手にも自分にも対して興味がないからだ。
喧嘩が休戦した時に頭の中で、解決していない物事を追いかけているのが、たまらなく嫌いだからかもしれない。
私は、面倒か、面倒でないかの2択で選択をするようになっていた。
面倒だから、効率の良い動き方を考えて、面倒だから、問題に首を突っ込まないようにした。
面倒なことを避けることに情熱を注いでいるのかもしれない。
だが、問題も出てくる。
全てを面倒だと思ってしまうと、生きることすら面倒に感じてしまう。
生きることにも情熱が必要なのだと思った。
面倒なことを率先して行うことによって、新しい情熱を見つけることもできるのかもしれない。
そこらへんにいる虫は、生きることに必死になっているように見える。
私は、虫を気持ちの悪い生き物としか見れていなかったが、彼らの原動力に興味が湧いた。
私たちに入っているものとは、また違ったもので動いているのかもしれない。
人間に蝶のような羽がついていても、面倒で飛ばないのではないか。
少なくとも私は、飛ぶ理由がなければ、飛ばないのだと思う。
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