地域社会と関わりを持つために何を行っていますか ?

地域社会との繋がりは、大切だと思います。
それでも、昔ほどは、結ばれていないような気もします。
近くの寺でヨガ教室を行っているという情報を聞いて、興味を持ちました。
前は、全く興味がなかったものも時間が進むと考え方が変わってきますね。
私のイメージのヨガは、呼吸を整えてマインドフルネスをするというものです。
時間に追われている感覚から体を切り離し、今に集中するというのがとても魅力的です。
ネットの普及により近所の住民ではなく、世界に散らばっている気の合う人と繋がりを求めるのが、現代だと思います。
気の合う人を見つけられるということは、いいことですし、仲間を見つけるというのは人間の本能かもしれません。
ですが、その考えを少し危険に感じています。
食べ物で言えば、食わず嫌い。映画で言えば、客観的な視点で映画を観れていないようなものでしょうか?
映画は、高評価しかないもの、総合的な評価は中間だが、上と下で差があるものがあります。
いい映画というものは、上と下の評価が極端に分かれているものだと思っています。
つまらない、面白いと感じたらその理由を知りたくなってしまう性格なので、自分と反対側にいる人の意見を大切にしようとしています。
同じ映画を観ていて、違う意見が出るといことに興味を感じたからです。
それと同じで、人にもいい面と悪い面があります。
その人全体で見たら、悪い印象を持っているかもしれませんが、悪いものは仕方がないです。
私は、その人の良い面も悪い面もどちらも尊重するようにしています。
そして、総合的に評価するのではなくて、場面ごとに考えるようにしています。
同じ人間でも色々な評価があれば、色々な顔を持っているということです。
家族への顔、職場での顔、友人への顔。
私は、環境に応じて、変化する人間の面白さがとても好きです。
私たちの性格が、色だとして、同系色で集まっていたら予想通りの色ができると思います。
あえて、違う性格の人と関わりを持つことで、いろんな組み合わせが出来上がるような感じです。
そして、地域の繋がりを大切にしている田舎の人たちは、繋がりを大切にします。
親戚の人から聞いた話で、田植えの話をします。
今の季節は、田植えの時期で、実家の手伝いをしていた私は、祖父に余った苗を捨てるように言われました。
勿体無いと思いそして、ぜこんなに余るのかと疑問が湧きました。
どうやらそれは、昔の人が、農作業を行うときにピッタリではなくて、少し余分に準備するからだそううです。
自分たちのことで、精一杯なのが今の日本だとしたら、片手を誰かに差し伸べるために開けておくというのが、昔の人です。
自分たちの分よりも余分に作り、余った分を誰か足りない人が来たら分け与える。
必要がないと分かったらそこで、処分する。
それは、日本人の協調性の高さにあるのだと思いました。
普通だったら、自分のことだけやってれば最小限の労力で済み、無駄が減るというのは、とても合理的に思います。
しかし、それだけでは限界があるのだと思いました。
自分のことだけやるという考え方は、輸入されたもので、本来日本は、助け合いなのだと思いました。
ヨガに興味はありますが、地域の繋がりに入ることが、面倒に感じてしまっています。
一人でいるという心地よさに危機感を感じている人はいますか?
心地の良い環境を抜け出すというのが、脳には良い刺激だと聞くのですが、どうも気が乗りません。
人との繋がりを持つべきだという考えを持っていますが、どうしても踏み込めない自分もいます。
ゆうらいふをもっと見る
購読すると最新の投稿がメールで送信されます。






