ないと暮らしていけない1つの贅沢は何ですか ?

全てのものが贅沢に感じるような性分なのですが、一つを挙げるとしたら
考えて書くことができるということが日常の贅沢です。
日記やノートを書くことが1日の区切りであり、1日を生きて過ごせたということにもなれます。
私にとって、生きることとは、吐き出すことです。
腕があり、考える頭があり、耳で聞き、鼻で嗅ぎ、目で見るというような本来の機能に感謝をすると、全てのことが贅沢に感じます。
食べることは、生きることかもしれません。
それは、生命を維持する上で必要なことだからです。
ではなくて、内側の話です。
私が飼っているミルワームの話をすると、一般的な芋虫タイプから蛹になり、その後黒い成虫へとなるわけですが、蛹の状態を芋虫と混ぜておくと、芋虫達が焦り始めて、蛹へ変態を遂げるのです。
小さい芋虫のまま、焦って蛹になろうとする訳ですが、小さい蛹になると問題が起こります。
羽や背中が未完成で奇形してしまうのです。
そうなってしまうと、不自由に動き、後尾もできないので救うことができません。
なので、定期的に蛹を芋虫と分けなければいけません。
奇形した、成虫を見ていると少し悲しいです。
動いて、餌を食べることはできます。
ですが、卵を産むというところには辿り着けません。
彼らが、遺伝子を残すという目的が、私が繁殖させたいという目的と重なるため、餌を与えていますが、奇形した虫は、共通の目的がないため分けておくしかありません。
それらの生き物を見ていて、常に感じていることは、一生懸命さを感じることです。
生きるために共食いをし、箱から逃げることを考えています。
必死に抵抗し、餌が来たら、仲間を踏み台にしてまで、奪い合います。
何が言いたいのかというと、生きたいと思う気持ちさえあれば、それ以上の贅沢は必要ないのかもしれないということです。
私たち人間は、自殺を考えてしまいます。
他の生き物は、生きることに執着しているように思います。
私は、飲食や睡眠より、考えて書くことで、正気を保っているので、考えていることは生きているという感覚に近いです。
なんとなく、貰って始めた習慣が、生命維持のようなものになってしまいました。
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